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八丈小島八景★宇喜多秀家が見た海

2012年03月15日 17時52分28秒 | 島の暮らし
◎あさぬまオリジナル宇喜多秀家Edyカードの制作状況です。

漫画家たかまつやよい先生描き下ろし宇喜多秀家のイラストも完成して、
カードデザインも終わり、後はカード台紙のデザインがもう少しで完成します。
素敵なカードになりますよ!皆様、どうぞお楽しみに!

関ヶ原の戦に負けて、慶長11年(1606)八丈島へ流されてきた宇喜多秀家は、
明暦元年(1655)に亡くなるまでの50年間を八丈島で暮らしました。



昨日、八丈小島の写真を撮りに、西見甚太→永郷→南原千畳敷きと周りましたが、
亡くなるまで大賀郷東里に暮し、よく釣りに出かけていたらしい宇喜多秀家は、
南原辺りから八丈小島を眺めていたかもしれませんね。



同じように見えるけど、全部違う場所から撮った八丈小島をご覧ください。



昨日は快晴でしたが、空がもやっていて小島がくっきり映らなかったのが残念。



永郷からの八丈小島です。



この写真を撮った永郷の道は行き止まりの工事中で、Uターンに苦労。
どこでもかまわず上っていくとこんな目に遇いますよ。皆様もお気をつけて。



戻ってきて、南原スポーツ公園の下辺りから。



南原千畳岩の先端まで行って撮った八丈小島。
ゴツゴツしたこれらの岩は、八丈富士が噴火した際に流れてきた溶岩が
冷えて固まったものです。そう考えると恐ろしい。

宇喜多秀家が流されてきた前年にも八丈富士は噴火しました。
さらにその前年は、八丈島に大津波が襲ってきた年だそうです。
その時期の八丈島へ島流しだなんて、ずいぶんひどい話ですよね。



しかし宇喜多秀家は、50年間をこの島でたくましく生きぬきました。
八丈小島を見て、また秀家と豪姫の銅像のように岡山の方角を見て、
秀家さまはどんなことを思われたのだろうかと、しばし思いを馳せました。


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