何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

最初の一歩は納得できる

2007-10-11 00:21:07 | いいものはいい
<力士急死>時津風親方、斉藤さんの実家を訪ね謝罪  10月10日19時39分配信 毎日新聞

 現役力士を引退して時津風部屋を継承した大相撲の時津風親方(33)=元前頭・時津海=は10日、6月のけいこ直後に急死した序ノ口力士、斉藤俊さん(当時17歳)=時太山(ときたいざん)=の新潟市内の実家を訪ねた。東京都内の時津風部屋に戻った後、両親に謝罪した時の様子を説明。斉藤さんの母親は泣いているようで、時津風親方は「顔も見られなかった」と話した。

 時津風親方は始発の新幹線で新潟入り。午前9時前に斉藤さん宅に着き、仏前に手を合わせた。訪問は、部屋継承直後に最初に自分ですべきことと決めており「一日でも早くと思い(斉藤さんに)約束も取らずに行った」という。時津風親方によると、斉藤さんの父正人さんには「わざわざ遠いところをおいでいただいた」とねぎらわれた。

 新・時津風親方の最初の仕事としては、ヒットではないか。けしてウケを狙ってやっているのではなかろうが。

 TVで「まず最初に“斉藤クン”のところへ・・・」といていたのが印象的だった。“時太山”でもないし、後輩だからといって呼び捨てにすることもない。
 同じ釜の飯を食った間の者として、部屋の先輩を代表して、ということだろう。

 しかし裏返してみると、「かわいがり」をしたことがあるかもしれないし、それに近いことをしたこともあったかどうか。部屋の弟弟子の暴力行為を見て見ぬフリをしていたのかどうか。個人としても反省し、謝罪するところもあったのかもしれない。

 まぁ、多少のことなら、この際、寛大に見よう。でも、今からでも真実を明らかにして欲しい。その次の大仕事はこれだろう。1~2場所くらい、部屋全体で「休場」してもいいのではないか。世間が「そこまでしなくても」ということを自主的に行ってこそ、みそぎをしたと認めて、許してもらえるのではないか。

 落ちるところまで落ちた時津風部屋。すぐに寝込んでしまった先代の時津風親方。せめて遺族に謝罪くらいできなかったのか。そのようなことすら怠る親方に、指導力などあったとはにわかに信じ難い。

 いくら名横綱が創設した部屋とはいえ、これだけの不祥事を起こせば、部屋が取り壊されるくらいでもちょうどよいと思う。名門なら、何をしても許されるというのではファンも納得しないだろう。

 次の再生に向けた行動が臨まれる。部屋の復興は焦らず進めてほしいものだ。

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