何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

張本に大「渇」、見苦しいゾ

2005-06-12 21:47:24 | いいものはいい
 今日だけは朝寝をしたい日曜日、しかしなぜかいつも通りに目が覚めてしまい、損したような朝。「関口宏のサンデーモーニング」を楽しみに、TVの前に。

 コメンテーターの中には、さすがというか、尊敬しちゃうコメントを連発する人もいて、勉強になる。2時間番組なんだけど、全体の1/3をスポーツコーナーが占めている。昔は、そんなに時間を割いていなかったように思う。昨年のプロ野球のストライキあたりから、長めになってきたように思う。

 視聴者が苦々しく思っているところに、大沢親分や張本が「カーツ!」とすると、それがウケるような構図。張本は新庄には異常なほど気に食わないようで、さも自分が古いと言われようと、良識派ぶっているかのようだ。

 張本は、新庄には容易に「渇」を入れる反面、誰に対しても軽く「アッパレ」を出さない。褒められたきゃ、誰もが納得する結果を出せ、と言わんばかりだ。チョットやそっとじゃ、アッパレは出さん、それはもうひとつ上の成績を出せとばかりの、愛のムチのようにも思っているかのようである。

 最初は、厳しさも3000本安打製造機なればこその、次元かと思っていたが、最近、とみに見苦しくはないかと思う。きがつきゃ、ボードに「渇」の嵐、はじっから怒っているか、まるでイチャモンでもつけているみたいだ。ひとつひとつをとってみれば、「そんなプレーはプロとしては許されない」という理屈なんだろう。そして「それじゃ、ファンが納得しませんよ」と、まるで自分はファンのため、球界盛り上げの旗手みたいなことを言う。

 絶対評価なのかよ、と思う。そりゃね、中にはお粗末なプレーもあろう、でも相対評価だっていいじゃないか、誰もが名球界入りする素材の選手で成り立っているんじゃない。中には進退をかけて、本人なりに一生懸命プレーしている選手だっているんだ。画面からはわからないほどのイレギュラーや不運が重なったことかもしれないじゃないか。それを結果だけで、どーのこーの言うのなら、誰だって言えるさ。

 もっと愛情のこもった「渇」が出せないのか! そんな世界に嫌悪感を感じさせているのがわからないのか! 野球の視聴率が落ちている原因は、張本みたいな老害がイヤで、他のスポーツのほうに人気を取られているのではないか。

 自分がそれなりの成績をおさめ、一流選手ズラしても、今の世代にタイムスリップしたら、3000本確実に打てるというのか。もっと野球というものを、楽しくもあり、みんな一生懸命プレーした結果との評価でモノが言えないのか、と思う。

 改めてなんか欲しくない。張本にはTBSから去って欲しいだけだ。そんな考え方は、聞きたくもない。
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