『涙の数だけ大きくなれる! 明日を生きる「自分へのメッセージ」』 木下晴弘・著、フォレスト出版、2008年9月9日
p.45-6 塾をやめたいと申し出る生徒に対しては、私はいつもこう言いました。
「わかった。塾をやめるというのも君の人生における一つの選択だ。もちろんやめてもいい。でもね、明日やめなさい。明日になったらまた、明日やめよう、そう思いなさい。毎日そう思い続けるんだ」
p.47 その道をどう歩むかという方法に関して、あるやり方をとってうまくいかない時は、それをやめて次の方法をとってみるのはいい。肝心なのは、あくまでその道を行くこと。道を捨てないことなんだ。
p.76 煎じ詰めると、仕事というのは問題を解決することなのです。だから、その問題を解決した時には当然のこととして、解決した相手から感謝の言葉が返ってきます。
単に手間を代行した程度の行為に対する感謝の言葉と、たとえ些細なことでも相手の問題を解決してあげた時の感謝の言葉は、明らかに重みが違う。「ありがとう」に込められた意味が違う。
こちらで一方的に考えて何かを提供しても、たまたまそれが当たれば幸いだが、基本は相手の要望や困っていることに対して関わり、ただちに解決できなくても、その方向に導いてあげることだろう。
p.95 いつも相手の意見を「それは違うよ」と否定するのがクセになっていたり、見下したような雰囲気で人と接したり、あるいは妙にライバル心をいだいたりしているようでは、人から良い反応は期待できないはずです。
p.153 こうしてやって当たり前のことを、当たり前と思えないほどの情熱を傾けて行う、それを努力と言うんだよ。
p.169-170 私たちが何かの行動を起こした時に得られるものは「失敗」でも「成功」でもなく、「ある気づき」であるということです。
人間とは勝手なもので、自分の思い通りにことが運んだ時には「成功した」と感じ、自分の思い通りにいかなかった時には「失敗した」と感じる生き物だと思います。
しかし、「失敗」や「成功」は起こった出来事にその人がつけた「勝手な解釈」にすぎないということに気づいたのです。たとえば、何か自分に都合が悪いことが起こった時、それを「失敗」と定義せずに「この出来事から何に気づけばいいのだろうか?」と考えてみるのです。
中でも「あるレジ打ちの女性」、「ある生徒の高校受験」、「「ミラー細胞」と佐賀北高校」、「母の足」は感動した。“いい話だった”で済ませてはいけないのだろうが、人にも伝えたいと思った。
★★★★★
p.45-6 塾をやめたいと申し出る生徒に対しては、私はいつもこう言いました。
「わかった。塾をやめるというのも君の人生における一つの選択だ。もちろんやめてもいい。でもね、明日やめなさい。明日になったらまた、明日やめよう、そう思いなさい。毎日そう思い続けるんだ」
p.47 その道をどう歩むかという方法に関して、あるやり方をとってうまくいかない時は、それをやめて次の方法をとってみるのはいい。肝心なのは、あくまでその道を行くこと。道を捨てないことなんだ。
p.76 煎じ詰めると、仕事というのは問題を解決することなのです。だから、その問題を解決した時には当然のこととして、解決した相手から感謝の言葉が返ってきます。
単に手間を代行した程度の行為に対する感謝の言葉と、たとえ些細なことでも相手の問題を解決してあげた時の感謝の言葉は、明らかに重みが違う。「ありがとう」に込められた意味が違う。
こちらで一方的に考えて何かを提供しても、たまたまそれが当たれば幸いだが、基本は相手の要望や困っていることに対して関わり、ただちに解決できなくても、その方向に導いてあげることだろう。
p.95 いつも相手の意見を「それは違うよ」と否定するのがクセになっていたり、見下したような雰囲気で人と接したり、あるいは妙にライバル心をいだいたりしているようでは、人から良い反応は期待できないはずです。
p.153 こうしてやって当たり前のことを、当たり前と思えないほどの情熱を傾けて行う、それを努力と言うんだよ。
p.169-170 私たちが何かの行動を起こした時に得られるものは「失敗」でも「成功」でもなく、「ある気づき」であるということです。
人間とは勝手なもので、自分の思い通りにことが運んだ時には「成功した」と感じ、自分の思い通りにいかなかった時には「失敗した」と感じる生き物だと思います。
しかし、「失敗」や「成功」は起こった出来事にその人がつけた「勝手な解釈」にすぎないということに気づいたのです。たとえば、何か自分に都合が悪いことが起こった時、それを「失敗」と定義せずに「この出来事から何に気づけばいいのだろうか?」と考えてみるのです。
中でも「あるレジ打ちの女性」、「ある生徒の高校受験」、「「ミラー細胞」と佐賀北高校」、「母の足」は感動した。“いい話だった”で済ませてはいけないのだろうが、人にも伝えたいと思った。
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