JR西は企業風土を変えると言っているが、それが難しいことは前述した。さらに、そればかりかJR西にそれが期待できないと感じさせるのが、「社外重役を入れない」と言っているくだりだ。迷っているふうでもない。自分たちで再生したい、できると思っているんだろう。
ところが、だ。事故後の社員の目にあまる行動が次々に明るみに出て、それは一見、事故とは無関係かもしれないが、そこの捉え方がJR西と国民とズレているのではないかと思う。JR西は、世間との感覚がズレていたことを“一部は”認め、企業風土改革などと言っているが、やはり本音は運転士の異常なスピードの出し過ぎだと、いわば個人の責任があったんだと、それが最大の理由だと思っているのではないか。
国民は必ずしもそう思っていない。確かにスピードの出し過ぎさえなければ、ということはある。しかし、そこには遠因だとか、背景というものがあって、それこそ「真の原因」だろ、と見ている。「直接の原因」と「真の原因」との認識のズレ。ここが果たして改革されるのだろうか。
だから社外重役の存在が意味を持ってくる。ただでさえ社内は風通しが悪い、悪すぎる。区長にさえその後のことを恐れて進言すら出来ないのに、安全部長になんて何も届くはずがない。企業には社外の目、国民の目が入らないと、社会の要求が何か、企業の社会における存在意義が忘れ去られてしまうだけであって、いきつくところ企業が暴走してしまう、事故は再発してしまうのだろう。(続く)
ところが、だ。事故後の社員の目にあまる行動が次々に明るみに出て、それは一見、事故とは無関係かもしれないが、そこの捉え方がJR西と国民とズレているのではないかと思う。JR西は、世間との感覚がズレていたことを“一部は”認め、企業風土改革などと言っているが、やはり本音は運転士の異常なスピードの出し過ぎだと、いわば個人の責任があったんだと、それが最大の理由だと思っているのではないか。
国民は必ずしもそう思っていない。確かにスピードの出し過ぎさえなければ、ということはある。しかし、そこには遠因だとか、背景というものがあって、それこそ「真の原因」だろ、と見ている。「直接の原因」と「真の原因」との認識のズレ。ここが果たして改革されるのだろうか。
だから社外重役の存在が意味を持ってくる。ただでさえ社内は風通しが悪い、悪すぎる。区長にさえその後のことを恐れて進言すら出来ないのに、安全部長になんて何も届くはずがない。企業には社外の目、国民の目が入らないと、社会の要求が何か、企業の社会における存在意義が忘れ去られてしまうだけであって、いきつくところ企業が暴走してしまう、事故は再発してしまうのだろう。(続く)