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何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

自浄能力が期待できるのか?

2005-05-08 11:37:55 | JR西に学べ
 JR西は企業風土を変えると言っているが、それが難しいことは前述した。さらに、そればかりかJR西にそれが期待できないと感じさせるのが、「社外重役を入れない」と言っているくだりだ。迷っているふうでもない。自分たちで再生したい、できると思っているんだろう。

 ところが、だ。事故後の社員の目にあまる行動が次々に明るみに出て、それは一見、事故とは無関係かもしれないが、そこの捉え方がJR西と国民とズレているのではないかと思う。JR西は、世間との感覚がズレていたことを“一部は”認め、企業風土改革などと言っているが、やはり本音は運転士の異常なスピードの出し過ぎだと、いわば個人の責任があったんだと、それが最大の理由だと思っているのではないか。

 国民は必ずしもそう思っていない。確かにスピードの出し過ぎさえなければ、ということはある。しかし、そこには遠因だとか、背景というものがあって、それこそ「真の原因」だろ、と見ている。「直接の原因」と「真の原因」との認識のズレ。ここが果たして改革されるのだろうか。

 だから社外重役の存在が意味を持ってくる。ただでさえ社内は風通しが悪い、悪すぎる。区長にさえその後のことを恐れて進言すら出来ないのに、安全部長になんて何も届くはずがない。企業には社外の目、国民の目が入らないと、社会の要求が何か、企業の社会における存在意義が忘れ去られてしまうだけであって、いきつくところ企業が暴走してしまう、事故は再発してしまうのだろう。(続く)
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悪者の矛先がマスコミに向いているが

2005-05-07 23:58:03 | JR西に学べ
 JR西の脱線事故のTV報道、ワタシあまりTVを見ていなくてその場面を知らないのですが、記者からJR西幹部に罵声が浴びせられていることは想像に難くありません。

 会見場には、JR西職員とマスコミの両者が対面していますが、間接的に遺族はもちろん、一般国民がいます。JR西以外のJR関係者や私鉄関係者なんて、どっちの気持ちもよくわかるんじゃないですか。

 マスコミがツッコミ過ぎというのも否定しませんし、記者に同情するものではありませんが、その場に居合わせると、わかっていてもついそうなっちゃう雰囲気ってあるんでしょうね。それでも行き過ぎはプロとして失格なのでしょうか・・・。

 そして何と言っても、JR西の職員、それも少し尼崎とは離れた場所で日夜、勤務している社員はどんな想いなんでしょう・・・。何を言われても今は仕方ない・・・、でも(特に会社では口が裂けても言えないのでしょうが)この際、国鉄時代からの悪しき慣習は払拭されて欲しい、こびりついた垢が洗われて欲しい、あとかたもなく「JRの常識は国民の非常識」的部分が消え去って欲しい、・・・そうも思えばどれだけマスコミからつっこまれようと、心のどこかで相反する気持ちがあって、ときに「もっと核心を突いてくれ!」的に感じたりもして、思いも複雑なのではないでしょうか。
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風土改革が難しいワケ

2005-05-07 20:26:48 | JR西に学べ
 風土改革だなんて、それを自ら宣言するなんて、企業体質を変える、と同義。今まで会社の上層部の方針、姿勢、戦略の数々が誤っていました、ということなのだ。さまざまな決定を下すにあたった根本的考えが間違っていたのだ。
 
 もともと「白が正しい」と思っていた社員に対し、「黒が正しい」と教育(この場合、もはや洗脳と言われても仕方ないが)してきた人が、改めて「白が正しかった」「これからは白が正しい」と教えるというのだから、教わる方にしてみれば、これまで「黒が正しい」と言ってきた上層部が学ぶ側にこないでどうすんだ、ということになる。

 今まで「黒が正しい」と言われて苦渋を飲んできた人は、素直に話が聞けないかもしれない。そのくらい風土改革って難しいのだ。上層部がすべき、手っ取り早い風土改革は、経営者が総退陣することなのだ。指導側にいた者、決定権限を持っていた者「すべて」が去ることが風土改革の第一歩なのだろう。

 当事者じゃないから厳しいことを、勝手なことを言っているな、と思ったそこのあなた! まず上層部が「これまで正しいとしてきた黒は間違えでした、自分たちの経営能力、方針選択眼、基本姿勢はすべて誤りでした」そこを明確にしないと、ゼッタイ風土改革なんて始まりません。

 風土改革をするというのは、考え方はもちろん、価値観を変えることでもあるのだから、人事の大幅な変更なくしては進まないのです。それまでのジョーシキでは考えられないようない人事があってこそ、推進されるものなのだと思いますね。
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馳せ駆けつけた民間人、JR西脱線事故

2005-05-07 09:20:21 | JR西に学べ
 聞いたところによると、事故直後に、現場近くの何かの下請け工場の職員が、上司の指示のもと150名ほどが駆けつけて救出にあたったというじゃないですか。テレビで救援の場面が映し出される中にヘルメットかぶって作業服を着て、一見レスキューかと思いきや、民間のそんな人たちらしい。青果会社の職員も、被害者の搬送やら水等の物資提供やらで、自分たちの仕事そっちのけでお手伝いをしたらしい。それらの会社の職員も立派だし、率先してその指示を出した上司、イレギュラーな行動に理解を示した経営者、心から敬意を表したい。

 事故現場と天王寺車両区って、遠いのかなぁ、と思っていたところ、なんでも20分程度で行ける距離なんですって? そりゃJR西の他の路線を全面ストップして事故処理にあたることもできないだろうけど、非番の人くらいは、やはり行ってもたいしたこともできないかもしれないけど、ちょっとしたことで、力になれることがあったんじゃないかな。

 だからこそ、問われるのが「第一報」のありかたなんだろう。職員にしてみれば、事故の大きさに加えて、当事者の職員に今後どんなオシオキが待っているんだろう、と直感させ、その恐ろしさが他の職員の業務を萎縮させて二次災害をおこしちゃいけない、と結果的に事実隠しと言われてもしかたないことになったんじゃないかな。

 事実をありのままに言わなきゃ、正確に伝達しなきゃ、適切な行動なんてとれないだろうに。上層部だけの胸の内に収めて、下の者はそれに従って動いてくれればいい、なんていう体制がおそらく日常茶飯事、JR西のジョーシキだったのだろう。恥部を社員に知らせないことは、会社全体の恥じるべきことなのだ。この点は、JR西を笑えない会社がたくさんあるんじゃないかな。
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上司に物が言えない、ってホント?

2005-05-06 23:15:45 | JR西に学べ
 今、大事故が起こっている。ちょっとした脱線なんてものじゃない。死者も出ている。そんな時のボーリング。「あの~、尼崎でかなり大きな事故が今朝起こって死者も出ているらしいんですけど、休暇中とはいえ出社しなくてもいいんでしょうか・・・」このくらいのことさえ、言うのをためらう社内の雰囲気って、いったい何なんだろう。そんなに風通しが悪いの? 内部コミュニケーション5.5.3の不適合?

 かと思えば、みんなして宴会、さらに二次会、まとまって行動できているじゃん。この矛盾。「尼崎で、死者も出るほどの脱線事故が起っているらしいんですが、ご存知ですか?」こんなふうにも切り出せないの?

 ボーリングや飲み会への無神経さをあきれる発言は多いけど、上司へ進言が出来ない異常さに目を向けるコメントが少ない気がするんだけどな。自分の会社は、この点は大丈夫だな、とひと安心。
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ボーリング以外にもゴルフだと、JR西

2005-05-06 22:38:59 | JR西に学べ
 ほんとマジメにやっているJR西の職員が可哀想だってば。事故当日、事故のお膝元の兵庫県のJR職員が誘い合ってゴルフに行っていたんだって?! そんなに事故に駆けつけられないのかなぁ・・・ いや駆けつけなくてもいいけど、これだけの事故に対して間接的にすらサポートできないの?

 有給休暇中なら、何をしてもいいんかい? ちょっとやそっとの事故じゃないんだゼィ、せめて近県の職員はせっかくのGW中かもしれないけど、どうにかならんのかいな。今じゃ、旅行中止してひっそり家に閉じこもっていなきゃ、しょうがないみたいじゃないか。

 いやJR西の中に、休み返上でいろいろ陰で事故処理をしている職員はたくさんいるさ。非番にもかかわらず事故現場にかけつけて、いろいろお手伝いした職員は、少なくとも1人はいるさ、きっと。いればいたで、ますます休暇を楽しんだ人たちがいたたまれなくなっちゃうんだろう。

 もし自分がJR西の職員だったらどうするだろうか。そりゃJR西の文化は知らないけどさ。お手伝いすることはないか、聞いて出かける? 自宅待機と言われても、とりあえず遠距離じゃなければボランティアで駆けつけてみる? 今だから言える、ひとごとだから言える?

 それよか、JR西の職員じゃなくても、とにかく手弁当で行ってみるか。若狭湾でタンカー座礁で原油汚染があった際に、多くのボランティアが駆けつけたように。遺族も可哀想だけど、あまりにもお粗末すぎて、JR西にも、なんかこれ以上見ていられないなぁ。
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ボウリングをしていた時の気持ちは

2005-05-05 22:06:05 | JR西に学べ
 ・・・想像もつかないなぁ。一球投げるごとに、フツーの感覚なら「こんなことしている場合ではない」と、いてもたってもいられなかったはず。その後、飲み会もあったんだから、やはり後ろ髪はたいして引かれる様子はなかったのかな・・・

 尼崎と天王寺車掌区って、どのくらいの時間的距離かわかんないけどさ。もし自分がJRの職員だったら、ねぇ、止めて行こうよ、って言えたかな。40名以上いたんでしょ、あの場に。それほど言いにくい状況があったんだろうか。実は、密かに言ったんだけど、実は制止されたんだろうか(制止された、なんてことがわかったら、さらに袋叩きに合うな)。

 尼崎とほぼ同距離にあって、天王寺車掌区と同様、緊急時にかけつけなくてもいいと決められている他の区域はどうだったんだろうか。自主的に行ったJR職員はいたのかな・・・ 抜け駆けなんかしたことになったら、職場にいずらくなるんじゃないかな。そこまで上司の指示・権限が絶大だったんじゃないかな。個人の判断を許さないほどの・・・。

 もしその任にないJR職員で、駆けつけた職員がいたとしたら、褒めてあげたいところだが、JR内部からは総スカンを喰っちゃうんじゃないかしら。「おい、手が空いていたら、緊急時だから行ってくれ」という上司はいなかったのか。そういう報道は、どこかに埋もれちゃっているのかな。
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JRは責められ過ぎか?

2005-05-05 18:27:28 | JR西に学べ
 今のJRを非難するのはカンタンで、ときに鬱憤を晴らすがごとく、徹底的に叩いて、叩きすぎるような感は否めない。その裏で看過できない大事なニュースが漏れていっているかもしれない・・・、確かにそうだ。重大なニュースがある時は、いつでもそうだ。

 JRのお粗末さや、「忍の一字」の表情に隠れて、反省が見えないうちは、まだまだバッシングが続くだろう。マスコミも、特に記者は、まさか自分の記事が載るとばかりに、微に入り細に入りペンを走らせているのだろうか。報道されるのは、取材の一端に過ぎず、ときに全体の象徴だったりもする。1分の裏に1時間のテープが回っていたりする。

 やがてはどこかで収束(事故の、ではなく、報道の)に向かうべきなのだろうが、とてもそんな雰囲気にさせない何かが、尼崎付近か、JR西にはあるのかもしれないとも思う。それは、ときにそこまで言うと客観的を通り越して感情的になってしまいかねない、活字にするのもはばかられるような何かが。

 事故対応マニュアルに沿って会見をするのでなく(いまだにそう見える)、社長からもっと人間味のある謝罪や言葉が聞きたいな。それが誠意にもつながると思うんだけど。
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脱線事故の犯人は誰?

2005-05-05 15:03:21 | JR西に学べ
 そろそろ福知山線脱線事故の報道も、事故に直接に係る新たなネタがなくなってきたようだ(あって欲しい)。この際とばかり内部告発でもあれば別だが、国鉄時代の尾を引きずっているのか、と思うのは私ばかりではあるまい。

 第一義的には、運転士の責任(異常なスピードの出しすぎ)なんだろうが、亡くなってしまったから本人に聞くことはできないこともあってか、「JR西に殺された」とか「企業の犯罪」という論調だ。JR西って営業エリアが広いが、他県の職員の心中はいかばかりか。

 社員の中には大きな声では言えないが、この際、上層部や組織の体質が変わって欲しいと思う反面、そこまで言われることはないと、反論もあろう(今は反論できずに、こらえているだろうが)。
 どうして運転士の責任でなく、JR西体質がここまで問われるのか、社員はわかっているのだろうか。バッシングがおさまらないのは、何が原因と思っているのだろうか。

 自動車だって、免許を持っていれば誰でも大なり小なり事故を起こしたことがあるか、違反で警察に捕まった経験を持つだろう。そこには本人の不注意もあるが、みなその遠因があったこともわかりすぎているのだろう。その遠因を作ったのは、紛れもなく組織なのだ。上司かもしれないし、経営者なのだろう。

 だから「申し訳ない」の言葉しかない垣内社長を許そうとする空気が生まれてこない。まだマニュアル的対応をしている。これだけの事故に、自分の言葉が見えないのだ。それに相反するかのように、そこにはJR西の腹の内が透けて見えるようだ。保障や内部介入を含めた組織的防衛が働いているのがイヤというほど見てとれる。

 あの社長にはもはや期待できない。あまり本当のことを求めても、その資質のない人からは期待するものは出てこない。それどころか自殺しちゃうんじゃないか、心配しちゃう。違った意味で、マスコミがこういうふうに変われ、と吹き込んで、そういう気持ちや考えのない上層部を一掃しちゃったらどうだろうか。

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お財布ばかり増えて

2005-05-05 11:34:33 | JR西に学べ
 あれば使えて便利かな、と思うけど、チャージしきれないなぁ。スイカにもチャージ、携帯にもチャージ、そうでなくても現金も持ち歩いていなきゃいけないし、結局、たいした額が入っていないんじゃないかな。
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過剰に報道しすぎじゃないか、オーバーラン

2005-05-05 00:01:07 | JR西に学べ
 オーバーランの報道があまりにも多い。とくにJR西で起ころうものなら、そらみたことか、と言わんばじゃりだ。でもさ、JR東だって、「停車位置を直します」なんてこと珍しくない。総武線でも、せいぜい10m以内だろうが、しばしば。停車位置の訂正があったって、この運転士による運転はコワイなぁ、などと電車を乗り換えるなんて、考えもしなかった。数mのオーバーランなんて、直せばいいじゃん、てなもんで、それが大事故への序章だなんて思わない。

 オーバーランって、実はそのくらい運転技量が危なっかしいことを示す、重要な指標なんだろうか。そりゃ人命を預かっているんだから、どんな些細なミスだって起こりえないようなシステム、仕組みであって欲しいと思う。とはいえ、わずかなことまで、まるで“鬼の首でも取ったかのように”ナーバスに指摘するというのは、どんなもんだろうか。1ミリのミスも許さず、報道しちゃうようだと、かえって運転士に逆PTSDを起こさせるんじゃないかな。

 まぁ、許しすぎちゃって気の緩みを招くのも困るんだけど、ちょっと今のオーバーラン報道の多さは異常だと思うな。
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社会貢献の意味ってなあに?

2005-05-04 11:48:45 | JR西に学べ
 ボランティアはもちろん、立派なことであってもカネにならないことは、「我々は霞を喰っているんじゃない」の一言で退けてきた。サービス業であるにもかかわらず、だ。民間企業において、利益追求は“聖域”であって、これはいかなる場合も否定されるものではない、とされてきた。本当か?、誰もこれをおかしいとは思わなかったのか?

 確かに利益が出なきゃ、会社は続けていけない。だから利益のことが、一切、忘れ去られてしまう、そんなことはない。しかし、だ。じゃあ、その利益ってどこからやってくるのか? 人の懐に手を突っ込んで、奪ってくるのか? 脅し取ってくるのか? 騙し取ってくるのか? 頭を下げて、買いたくもないものを買わせて得てくるのか? 違うダロ!

 買ってもらうには、自分が買うことを思えばいい。いらないものなんて、買わない。買っても役にたたないもの、どうせ捨てるものなら、いらない。価値を認めないものは、いらない。
 つまり、必要なものなら買う。比べて、より価値を認めるほうを買う。

 社会が個人の集合ならば、価値を生産することこそ、意味がある。社会の求めるものを生産することが重要だ。でも、えてしてその価値やニーズは、生産能力に比べて高度だ。自分たちは、そこまでできない。社会のニーズに合ったものを生産できない。だから、ガマンしてこの程度しかできないものを買ってもらう。ニーズに応えようとしたら、個別に通常以上の手間やエネルギーやコストをかけなきゃ、できない。できないことを肯定するように、言うのが冒頭の霞発言の真相だろう。

 さらに言えば、本当に社会への価値やニーズを追求する姿勢があったのか。なんとかそれに応えようと、精一杯やっているができない、のならまだ仕方がないというか、救いようがある。しかし現実は、自分たちの都合に合わせて生産されるものを押し付けて、自分たちの論理を押し付けてきたんじゃないか。だから、社会貢献なんて実は眼中になかったのだ。そこに霞発言の源が潜んでいるのではないか。

 私財を投じて、寄付をして、身を削って、何かをしろ、というのではない。自分たちの社会における存在価値を、社会が認めるやりかたで示せ、ということだ。それには、限られた範囲でしか動きません、なんていうのは通用しない。ただちにカネにならなくても、すべきこと、して当然と社会が考えることはいくらでもある。そうでなくても、自分が逆に社会の一員にまわれば、ここっまでしてもらえないか、してもらって当然だろ、と思うことは相当な範囲やレベルなはず。

 CSRまで持ち出すつもりはないけれど、このあたりの感覚とズレた経営感覚だけは、持っていて欲しくない。誰が喜ぶ経営なんですか、と。社会ですか、社長ですか、親会社ですか、株主ですか、と。
 株主を盾に、また第二の霞発言をする、過去にしがみつこうとする、自分たちを守ろうとする輩のアホさかげんについては、また改めて。
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あの安全部長は守るべきものを履き違えている

2005-05-04 10:07:07 | JR西に学べ
 JR西さん、お疲れさまですね、でも仕方ないですね、あの安全部長の話を聞いていると、やはり記者じゃなくたってツッコミたくなりますよ。置き石、粉砕痕、まずここから世間との感覚が“脱線”していたね。事件の原因究明をうやむやにして、万一、非があっても免罪を図ろうとするのは、JR西ばかりでなく、医療の世界でもよく見られる。ここでは自分たちの最大の使命は何かが、見失われているから、あーいう発言になってしまう。

 事故があるたびに、自分たちのミスがあるたびに、置き石理論を出すのなら、そんなに置き石がヤバイのなら、線路への侵入防止を徹底するよう柵でもフェンスでも作ればいいじゃん。置き石理論に世間が反論できないとでも思っていたのだろう。何かあったら置き石のせいにして自分たちのミスを隠し、損害賠償から逃れようと、ここでも“儲け主義”が徹底していた。

 利益第一主義が、世間を欺くことは、いくらでもある。たくさん売らんかなで、質を下げる食品の例。少しくらい何かを混ぜたって客はわかるまいと、本来入れるべきでないものを入れてコストダウンを図る例。さらに国産と偽って輸入牛肉を捌いてしまおうとした例。すべて利益第一がそうさせた。

 利益優先は社会貢献と一見、矛盾する。社会貢献は美しい話だが、それだけじゃ喰っていけないと思うんだろう。民間企業は、利益追求が第一、と思うんだろう。この論理を曲解していることについては、改めて。
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福知山線の事故ほど、教訓に富むものはない

2005-05-03 19:29:52 | JR西に学べ
 これまでもいろいろな事故があるたびに、報道を見ては、あー自分の会社でなくてよかった、と思ってきた人は多いはず。今回の福知山線の事故では、いったいJR西以外のJRの関係者や、私鉄関係者は、切実だろう。全国の路線の中には、「1分1秒を争う」路線が、他にあるかもしれないし、日勤教育とまでいかなくても、安全性とは無縁の何らかの目標を掲げて、できなきゃペナルティを課している会社は、JR西ばかりではあるまい。

 JR西は潰れない。雪印が潰れても業種の性質上、悔しいけど仕方ない。できなくてもぶっ壊すこともできない。福知山線より、JR西の体質こそ、もっと膿みを出してもらって、日本中の多くの会社がそれを他山の石とさせてもらって、多くのコンセンサスが形成されていくといい。

 昔より、そういう国民の目は熟してきたように思う。若い時より中年になった今のほうが、そういう目が肥え、関心の高い話題になっただけかもな。
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