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簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

入り鉄砲に出女(東海道歩き旅・伊豆の国)

2019-04-05 | Weblog



 当時箱根の関所は、「明け六つご開門、暮れ六つ閉まる」と言われていた。
この関所の通行には、手形の所持が必須とは言われていたが、京に上る男や、
江戸に下る女にはほとんどお調べは無かったそうだ。
しかし、「女人と武具は御証文無くしては通さず」と、とりわけ厳しさを極
めたのが「入り鉄砲に出女」である。



 大名達の子女が、江戸に軟禁状態にされていた時代だけに、江戸を離れ国元
に帰る女人の取り締まりは強化されていて、手形に書かれた人相や特徴などを
人見女が徹底的に調べ上げたと言う。



 もし手形に不備が有れば当然関所を通ることは出来ない。
そのため当時関所の手前には、新屋と言う町があって旅人はその茶店で関所通
行の仕方を教わったと言う。まや手形の不備で通行不能になったとき、再発行
までの間逗留するための旅籠町としても機能していた。



 箱根越はその地勢から、天下の険と言われているが、これは単に上り下り八
里の道のりの厳しさだけのことではなく、関所越えと言う高い壁の存在をも言
い表していたのであろう。街道を行き来すると旅人に取っては、ここを越える
ことは一大事で緊張を強いられるもので有った。



 何とか無事関所を越えれば、宿内の総家数197軒、うち本陣6軒、脇本陣1軒、
旅篭36軒、人口は900人足らずと言う箱根の宿である。
関所の脇と言うこともあり、飯盛り女はいなかったようだが、それでもこの時
だけは旅人も「山祝い」と称して大いに羽目を外し、関所の無事通過を祝った
と言う。(続)



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関所と宿場(東海道歩き旅・伊豆の国)

2019-04-03 | Weblog

 ここ「箱根宿」が開かれたのは、「入鉄砲に出女」の取締強化のため関所が
作られた元和4(1618)年といい、それは家康の伝馬制の発令からは、十数年
遅れてということになる。



 その昔京の都から東下りする場合、古代東海道のルートとしては箱根の北の
足柄峠が利用されていた。
しかしこの道は富士山の噴火の影響を度々受けていたという。
そこでその後江戸時代になり、上り下りは厳しいが、距離が短いことから箱根
峠を超えるルートが東海道に組み込まれ整備された。



 こうして決められた街道は、天下の剣と言われる峠越えの八里の道のりであ
ったが、当初その間に「宿場」は置かれてはいなかった。
その頃の箱根は人も住まない山上で、恐らくそれだけの平坦地も無い厳しい地
勢であったと言うことだ。





 従って街道を歩く人々にとって箱根越えは相当な難渋を極めた道であった。
いくら早立ちが基本、当時の人々が一日におよそ40キロも歩く健脚とは言え、
暗いうちから歩き始めても、途中で日没を迎えてしまうこともありそうだ。
標高差700m余り、32キロにも及ぶ山道の上り下りである。



 心もとないローソクの灯りだけを頼りの山道は、なんとも心細く絶えず不安
が付き纏っていたのであろう。特に大勢を引き連れて歩く参勤交代の大名や、
女子供を伴った足では辛いものがあり、「宿場」の設置を求める声は相当であ
ったらしい。



 こうした背景から「箱根宿」は設けられた。
しかしその地は米も出来ない石高零の痩せ地であったため、租税免除を条件に、
峠の入口の小田原と三島からそれぞれ50軒を強制的に移しての成立であったと
伝えられている。(続)

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修学旅行(東海道歩き旅・伊豆の国)

2019-04-01 | Weblog


 お江戸日本橋から旧東海道を歩き、ようやく箱根にたどり着いた。
思い起こせば、箱根には中学の修学旅行以来の再訪であり、こんな形で訪れ
ようとは夢にも思ってはいなかった。



 今振り返ると箱根では大涌谷と芦ノ湖と言う名前が記憶に残っているので、
おそらく立ち寄ったのであろうが、芦ノ湖のどのあたりで遊んだのかは全く
覚えていない。船に乗ったのか、乗らなかったのか、そもそもその頃、観光
船や海賊船が就航していたのか、すら定かには覚えていない。



 せっかくの機会なので、色々立ち寄ってゆっくり見て回りたいとは思うの
だが、時間的な余裕も無く、第一そんな余力も残っていない。
この地にも宿を取っておけば良かったと今更ながら後悔をする。



 昨日箱根湯本に到着し、陽の長いことを良いことに、行けるところまで行こ
うと鎖雲寺近くまで歩き、湯本で泊まった今朝も7時過ぎには宿を出てそこまで
バスで行き、以降歩いてここまで来たが既に正午を回っている。



 旧東海道は箱根宿の町並みを抜け、芦ノ湖を後にして箱根山の外輪山846m
の箱根峠を超えると伊豆の国に入る。ここからは延々と下り道が続き、それを
下りきれば東海道では伊豆の国唯一の宿場町である三島の町まで三里二十八丁
(凡そ15Km)の道のりだ。今晩の宿はその街道沿いに取っている。



 下り坂とはいえ、格段に速足で歩けるわけではない。
延々と続く下り道の怖さ辛さは、何度も四国八十八カ所で経験している。
慌てて歩いて、足の爪や、膝、足首を痛めてしまっては元も子もない。(続)

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