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堤防の道は長かった (東海道五十七次歩き旅・摂津国)

2025-07-07 | Weblog
 茨田(まんだ)堤の碑を見て、そのまま堤防道を南西方向に進むと、
遠くに見えていた枚方新橋が、漸くのこと近づいてきた。
出口集落を抜けで堤防道に上がってからここまで2㎞程を歩いている。



 橋は府道19号茨木寝屋川線の寝屋川市太間町と高槻市柱本の間に架か
っている。これまで枚方大橋と鳥飼大橋の間には橋が無かったことから、
昭和48(1973)年9月に架けられた橋らしくその下を潜り更に先に進む。



 ガイドマップによると橋から少し行って石段を下りた堤防下に、「茨田
樋之跡」の石碑があるらしい。淀川から農業用水、生活用水を引き込んだ
水門のようなもので、明治38(1906)年に完成した。

 枚方から毛馬まで八ヶ所有るらしいが、台風などの大水時に堤防が決壊
するおそれがあるとして、昭和の初期頃には全て廃止され、その跡地が遺
跡水辺公園として整備されているという。



 ここまでひたすら堤防道を歩いてきて、この先もまだ5㎞程は続くが、
変化が乏しく少し飽いてきた。更に下の河原に降り、川沿いを歩く手も
あるが、その上り下りも億劫で、ひたすら前を向き歩いている。



 淀川新橋から2㎞程歩いて、フォルムが美しい鳥飼仁和寺大橋を潜る。
一般にケーブルを利用し吊って支える構造のものを吊り橋と言うが、この
橋は塔と桁をケーブルで直結して支える構造から斜張橋といわれるものだ。
府道15号八尾茨木線の大阪府寝屋川市仁和寺本町2丁目と、同摂津市鳥飼
中1丁目、2丁目を結ぶ延長688mの有料道路である。



 この辺りの地名を「仁和寺町」という。
かつて京都の仁和寺(世界遺産「古都京都の文化財)の構成要素の一つ」
の寺領となっていた事に由来するらしい。(続)



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