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簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

雲助徳利の墓(東海道歩き旅・伊豆の国)

2019-04-17 | Weblog


 この辺りでは街道の石畳は荒れているとは言え、良く残されている。
そんな石原坂を下ると「念仏石」と呼ばれる大石が有り、行き倒れた人々を
弔う供養塔が有る。更に大枯木坂を下り、続いて小枯木坂を下る。
当時の石畳と、復元・改修されたものが混在する道だ。



 一旦国道に出てそれを横切り再び旧道に入りしばらく行くと一風変わった
お墓が立っていた。
「雲助徳利の墓」と言われるもので、ある雲助を供養する墓だそうだ。
その墓石には徳利と盃が浮き彫りにされていて、誰が供えたものなのかそこ
にはカップの清酒が置かれていた。



 説明によると、さる西国大名家で剣術指南を務めた人物らしく、酒で事件を
起こし追放されこの地で雲助仲間に入ったそうだ。
元々腕がたち、読み書きができるとあって仲間から親分のように慕われたと言
うが、酒好きは収まることもなく、結局酒で命を縮めてしまった。



 その先で国道に出ると山中の集落で、道路の反対側に「史跡 山中城址」
入り口の案内札が立っている。秀吉により落城の憂き目を見た城である。



 この近くで近所の男性に道を尋ねると、「この先は国道のバイパス工事で、
旧道が寸断されていて、国道を歩くことになる。
ここから笹原辺りまではバスに乗った方がいい。
バスは1時間に1本、毎時39分で、ほらそこがバス停だ」と言う。
腕の時計を見ると、35分を指している。



 ここまで急坂を1時間余り下り続けてきて、太ももは痛いし、石畳の歩き難
さをもろに受けて膝や足首もがたがたである。
どうしょうか、乗ろうか、このまま国道を歩こうか逡巡し後ろを振り返ると、
遠くにバスの姿が見える。
思わず先のバス停に駆け込み、気が付けばバスに向かい手をあげていた。(続)




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