大津市は、歴史的風土を守り、活かしながら、古都にふさわしい風格
あるまちづくりを進めるために、平成16(2004)年4月「古都大津の風
格ある景観をつくる基本計画」を策定した。
市域を7つの景観地域と2つの景観軸に区分し、それぞれの景観づくり
の方針を定めた。(大津市HPより)
比良山系などの「山地景観地域」、比叡山・坂本や、近江大津京跡、
園城寺、石山寺などの「古都緑地景観地域」、湖岸等から丘陵部にかけ
て広がる「田園集落景観地域」、大津の都心に位置づけられる浜大津か
ら膳所、副都心に位置づけられる堅田駅周辺、石山駅周辺、瀬田駅周辺
の「都心景観地域」などである。
景観造りは、東海道で繋がる草津市とも連携し行われている。
施策の中心は、「東海道統一案内看板設置」で、既に大津市内の街道筋
にも20カ所近い場所に看板が掲げられている。草津市で見てきた物と同
じ物である。
琵琶湖水運で栄えた湊町でもある大津宿は、実際には96町ではあるが、
「大津百町」と言わ、町の大きさが誇示されていた。
東西に長い町並は、東海道を初め、三本の大通り沿いに形成されている。
この辺りには、嘗て繁栄を誇った往時の名残か、登録有形文化財に指定
された町屋が多く残されている。
北に面して建つ平入町家、「小川家住宅主屋」もそのひとつだ。
大津祭巡行がある通り側には大きく窓を開ける、という特長を持っている。
近世の小規模町家を、近代風に改修した歴史をよく伝える住宅が評価され
ているらしい。
「大津魚忠」は、呉服商の住居として建てられた物だが、現在は料亭を
営む町家だ。正面1階は格子、2階には虫籠窓を設け、深い軒を腕木と出
桁で受けている。軒高が高く、木割の細い繊細な構えは,明治後期の商家
の姿を良く留めていると言われている。(続)
にほんブログ村
あるまちづくりを進めるために、平成16(2004)年4月「古都大津の風
格ある景観をつくる基本計画」を策定した。
市域を7つの景観地域と2つの景観軸に区分し、それぞれの景観づくり
の方針を定めた。(大津市HPより)
比良山系などの「山地景観地域」、比叡山・坂本や、近江大津京跡、
園城寺、石山寺などの「古都緑地景観地域」、湖岸等から丘陵部にかけ
て広がる「田園集落景観地域」、大津の都心に位置づけられる浜大津か
ら膳所、副都心に位置づけられる堅田駅周辺、石山駅周辺、瀬田駅周辺
の「都心景観地域」などである。
景観造りは、東海道で繋がる草津市とも連携し行われている。
施策の中心は、「東海道統一案内看板設置」で、既に大津市内の街道筋
にも20カ所近い場所に看板が掲げられている。草津市で見てきた物と同
じ物である。
琵琶湖水運で栄えた湊町でもある大津宿は、実際には96町ではあるが、
「大津百町」と言わ、町の大きさが誇示されていた。
東西に長い町並は、東海道を初め、三本の大通り沿いに形成されている。
この辺りには、嘗て繁栄を誇った往時の名残か、登録有形文化財に指定
された町屋が多く残されている。
北に面して建つ平入町家、「小川家住宅主屋」もそのひとつだ。
大津祭巡行がある通り側には大きく窓を開ける、という特長を持っている。
近世の小規模町家を、近代風に改修した歴史をよく伝える住宅が評価され
ているらしい。
「大津魚忠」は、呉服商の住居として建てられた物だが、現在は料亭を
営む町家だ。正面1階は格子、2階には虫籠窓を設け、深い軒を腕木と出
桁で受けている。軒高が高く、木割の細い繊細な構えは,明治後期の商家
の姿を良く留めていると言われている。(続)
にほんブログ村
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます