簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

東海道ルネッサンス(東海道歩き旅・三河の国)

2021-12-01 | Weblog


 「東海道ルネッサンス」とは、行政が中心となった地域づくりの一環
として、「東海道の宿駅制度が制定されて400周年」にあたり、「東海
道のルーツともいうべき東海道五十三次が、宿場町や、旧街道を中心に
地域の活性化と発展に寄与した歴史をたどり、その面影や文化を遺産と
して伝え、新しい時代に向かおう」というものらしい。



 主に静岡から愛知に掛けての活動らしく、道々でこの掲示板や道標な
どを目にしてきた。
「豊かさとゆとり」の感じられる道作りを希求しているようだ。
実際に街道を歩いて楽しんでみて、何と言っても安全な歩道と、休憩の
出来る木陰やベンチ、トイレがあればありがたいと感じていた。



 街道を歩いていて、常々疑問に思ってきたのは、昔の人はトイレをど
うしていたのかと言うことである。
テレビや映画の時代劇でも、中々こんなシーンは現われない。

 それについては「東海道 人と文化の万華鏡」(中西進 2003年7月
ウェッジ)で、鎖国期に来日し、長崎から東海道を経て江戸参府に加わっ
たスウェーデン生まれの植物学者ツュンベリーの旅行記を紹介している。



 「各家庭に不可欠な私的な小屋は、日本の村では住居に隣接して道路
に向けて立てられている。その下方は開いているので、通りすがりの旅
人は表から、大きな壷の中に小水をする」

 近頃は男でも座って小便をする人が多いらしいが、当時は男女共立っ
ていたらしく(幼い頃、明治生まれの祖母がそうしていた記憶が有る)、
民家の厠が街道を行く旅人にも開放されていた様子が窺い知れる。



 ただ悪臭には相当閉口したらしく、「鼻に詰め物をしても、ふんだん
に香水を使っても無駄、眼を強く刺激し、高齢者は目を真っ赤に、目や
にを出している」
とアンモニアに苦しめられる様子をこのように書き綴っている。



 当時江戸の町中でも、特に下町・裏長屋等と言われる地域は、似たよ
うな状況であったらしい。
町中には、下肥として再利用されるため肥桶を担いで、行き来する人夫
も日常的に見られたそうだ。そんな事も有り、眼を患い、目やにを貯め
ている人は多かったと言われている。(続)



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