簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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境川の継ぎ橋 (東海道歩き旅・尾張の国)

2022-06-03 | Weblog
「うち渡す尾張の国の境橋 これやにかわの継ぎ目なるらん」



 境川に架かる境橋を渡ると、丁度ここが三河と尾張の国境に当たる。
渡り終えると橋詰めに小さな緑地ある。
そこに中に、藤原朝臣光広のこの歌碑と説明板が立っていた。



 それによると「東海道に伝馬制が設けられて程無い頃、両国の立ち会
いの下この川に橋が架けられた」とある。
「川の中州を挟んで東側には土橋が、西側には板橋が架けられた。
橋は度々洪水で流され修復を重ねたが、やがて継ぎ橋は一本の橋となり、
明治に入ると欄干付きの橋に改修された」と言う。



 幕府は江戸の治安維持の目的で、河川に橋を架けることを厳しく制限
していた。その為、貴人や高官が往来するような場合、臨時に舟橋が渡
されることもあったようだ。
 とは言え架橋の禁止は、戦略的に重要な大河に限っての事らしい。
旧街道を実際に歩いていると、地方の小さな川には殆ど橋が架けられて
いたことに気付く。



 橋脚を立てそこに材木を渡し、上に丸太を隙間無く並べ、更にその上
に土をかぶせる。
こうすると丸太と丸太の間に土が入込み、踏み固められ歩きやすくなる。
これが土橋で、街道に架かる殆どはこうした土橋であったようだ。



 一方木橋とか板橋と言われるものは、文字通り板や丸太を何本か渡し、
くさびを打って繋ぎ幅を稼いだだけの粗末な橋だ。

 橋のない川では、飛び石のように配置された石を渡り、それすらない
川では足を濡らしながら浅瀬を渡ったと言う。
土橋や板橋でも有れば良い方で、旅人にはありがたいものであった。(続)



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