簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

粟津の晴嵐(東海道歩き旅・近江の国)

2024-06-07 | Weblog
 東海道は、JR琵琶湖線の下を地下道で潜り抜ける。
京阪の踏切では遮断されるたびに人も車も滞っていたが、こちらの流れ
はスムーズだ。

 線路を越えると周辺には日本精工やローム等の大きな工場が立地して
いるが、宅地にでも転用されるのか、一部では取り壊しが行われていた。



 街道は工場の間を抜けているが、この辺りの地名を「晴嵐」という。
嘗てここは「松の並木が八丁に渡り続いていて、粟津原と言う」風光明
媚な地で、近江八景の一つ、「粟津の晴嵐」として知られたところだ。
粟津はその昔は「粟津野」とも「「粟津の森」とも呼ばれていたらしい。



 晴嵐とは、「よく晴れわたった日に、山から立ち上る気(山霞)」、
また「晴れた日に吹きわたる山風」のことを言うらしい。
 ここは遙か遠くに比叡山が霞む地で、街道筋の瀬田の鳥居村から膳所
南の入口付近まで、五百本を越える松並木が続いていた。



 強風に松の枝葉がざわめく様子から「粟津の晴嵐」と言われた。
この粟津原の松葉は、こんな強風に揺すられ、落ちても色がよく、取り
分け太いので、「瀬田まつば」として、珍重されたという。



 今では当時の松並木は無く、所々にその名残と思われる松が、一本二
本と残るのみである。
 東海道街道筋の少し東、琵琶湖の湖岸には、約4.8kmに渡って続く細
長い公園「大津湖岸なぎさ公園」が整備されている。



 「名勝 粟津の晴嵐」の石碑が立ち、若い松並木が植樹され、数十年
後の「粟津の晴嵐」が期待されているらしい。公園からは、北に膳所城
跡公園・近江大橋、対岸の湖東に近江富士等が眺められるという。(続)





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