簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

お馬廻り役(東海道歩き旅・近江の国)

2024-06-10 | Weblog
 東海道は御殿浜(ごてんはま)で左に曲がるが、その角の民家の玄関
前に「膳所城勢多口惣門跡」の石碑が立っている。
南惣門の番所だったお宅らしく、昭和46(1966)年に建立された碑だ。
直ぐ横には、お地蔵様の小さな洞も立っている。



 街道は、既に膳所藩の城下に入っているらしい。
「膳所」と書いて「ぜぜ」と読ます難読地名のひとつであろうが、何故
かこの地名だけは、親しみがあり、物心付いた頃より、耳にこびりつい
ていて、漢字の表記も難なく読み下すことが出来る。



 何時の頃からかは定かでは無いが、可成り小さい頃から何度も何度も
聞かされ、記憶の中に刻み込まれてきたように思う。
その頃はこれが大津の地名とは知る由もないが、「ぜぜ」と言う言葉の
響きが強く印象に残っている。



 幼少の頃同居していた母方の祖母は、事ある毎に「膳所三万石のお馬
廻り役」、と先祖自慢をしていた記憶がある。
 「お馬廻り役」が、どれほどのものかも当然知ってはいず、聞かされ
ればただ「偉いお侍さんだった」との印象を抱いていたようだ。

 因みに、「お馬廻り役」とは、大将の馬側に近侍して、己の身を持っ
て護衛にあたった騎馬の武士のことだ。



 代々が尾張の国は川名村の水飲み百姓の小倅であった親父は、先祖自
慢をするプライドの高い祖母を煙たがっていたのかも知れない。
 そんな劣等感から来る反骨心からか、親父は正式で無いようだが、茶
や生け花を囓っていたようだ。



 こうして奇しくも現地を訪ね、街道を歩いていると、既に鬼籍に入っ
て久しい二人が懐かしく思い出されるてくる。
 と同時に、内心では何かと面白くは無かったのでは・・・、当時考え
もしなかった親父の心中が分かったような気がしてくる。(続)





にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 粟津の晴嵐(東海道歩き旅・... | トップ | 膳所藩(東海道歩き旅・近江... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事