簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

膳所藩(東海道歩き旅・近江の国)

2024-06-12 | Weblog
 膳所藩の城下に入った街道は、防御のために何度も曲りを重ねる特
有の道筋となる。
惣門から北に曲がるところに若宮八幡宮がある。



 この表門は、明治に入り膳所城が廃城になった折り本丸の犬走り門を
移築したものだ。明治の廃城令で膳所城は天守閣以下の建物が次々と解
体され、売りに出された門などが移築されて行ったと言う。



 膳所藩は、近江国膳所城に藩庁を置いた藩で、代々譜代大名がここを
拠点に統治した。京都の入口に当たり、昔から「瀬田の唐橋を征するも
のは天下を征する」と言われるほどで、家康もこの地を重要視していた。



 膳所藩には瀬田の唐橋を守る重要な任務が与えられていたらしい。
江戸時代初期の頃には、三万石の藩主家が短期間で交替していたが、そ
の後本多家が再封されると七万石となり、石高は近江国では彦根藩(井
伊家)に次ぐ規模であった。
江戸城での控えの間は「諦観の間」で、決して低い地位ではなかった。



 膳所には纏わる思い出もあり、懐かしい故郷を訪ねた様な気がする。
とは言え、これまでに来た覚えはないが、もしかしたら幼き頃、母親に
連れられ、訪れているのでは・・・と、何だかそんな風に思えてくる。



 そんな膳所藩の領内を、何度も曲りながら、ゆっくりと記憶を見極め
ながら抜けていく。街道筋は、城下町らしく落ち着いた町並で、格子を
嵌めた町屋など趣のある建物も幾らか目にすることが出来る。

 京阪線の踏切を越えると杉浦町の追分けで、右に折れるとその先で瓦
ヶ浜駅を見ながら再び踏切を越える。この辺りでは京阪線と旧道が絡み
合っている。(続)





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