簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

天神山辺り (岡山市内路面電車・番町線)

2021-07-28 | Weblog
 今日の城下筋に番町線の路面電車が走り出したのは、大正10(1921)
年の事だ。
内山下分岐(現城下交差点辺り)を折れ後楽園の森を右に見て北上する。
電停は、「石関町」、「出石町」と続くが、今日のオリエント美術館や
県立美術館、岡山神社のある辺りらしい。





 当時ここには、「岡山県農工銀行」(後の日本勧業銀行)のビルや、
岡山電気軌道(岡電)の本社が有り車庫もつくられた。
この辺りは岡山市の中心地域で、有力な個人商店も立地していたらしい。
余談に成るが、近くには、石造り三階建ての建物が威容を誇る「本郷金
物店」が有った。昭和の時代大映の映画やテレビのドラマ等で活躍した
スター・本郷巧次郎の実家である。





 天神山は、昔から岡山平野に聳え立つ三つの丘の一つで、丁度この辺
り一帯の地域を指す。ここは当時の官庁街、文教地区で、県庁や県会議
事堂、裁判所、県農会館、図書館、東警察署などを初め学校なども多く
立地していた。

 明治4(1871)年の廃藩置県により、備前岡山藩は岡山県となる。
当初現在の県域内には、他にも北条県、深津県もあったが、5年後には
岡山1県となり、手狭を理由に新県庁建設の機運が盛り上がったらしい。





 その候補に挙がったのが、岡山市街地を四方に瞰下するこの天神山で
あった。高台に有り風通しも良く、湿気が少ないので役所として適地で
ある、との理由である。

 工費13,600円(現価値で1億1,600万円位)、岡山県内産の檜、欅、杉
等の払い下げを受け、工事を請け負ったのは後の鹿島組、神奈川県在住の
平民・鹿島岩蔵であった。
この地に新庁舎が完成するのは、明治12(1879)年の事だ。
住民は祭提灯を灯し、その完成を盛大に祝ったと伝えられている。(続)

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