簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

旧内山下線 (岡山市内路面電車・番町線)

2021-07-14 | Weblog


 昭和初期の頃の岡山市街地図を見ると、駅前から城下に至る間の路面
電車には、電停(電車の停留所)が今以上に多く有った事が解る。
駅前を出ると次は、「取引所前」の電停が有ったが、距離にして200mに
も満たない場所である。現在、商業施設「ICOTNICOT」が建つ反対側辺
りと思われる地に、「米取引所」が有ったからだ。



 この次が「西川」、現在の「西川緑道公園」である。
市内を南北に流れる西川は、元々は江戸・慶長年間に開削された農業用
水である。
緑豊かな都市環境の創出をテーマに、昭和49年から10年近い歳月を重ね、
総延長2.4㎞の「市街地の中の緑の回廊」、緑道公園として整備された。



 現在の東山線は、「西川緑道公園」を出ると、次は「城下」である。
この間は直線で、1㎞に満たない距離であるが、当時はここに、「野田
屋町」、「柳川」、「中山下」、「上の町」の各電停が有ったが、150
m程の間隔で有ったと思われる。



 宇喜多秀家により岡山城下町の開発が行われ、以後その市街地は南に、
西へと広がり、やがて岡山城下62町の町並みが形成された。
やがて明治に成り、鉄道が開通し岡山駅が開設されると、城と駅を結ぶ
線は、岡山市を代表するメインストリートとして発展を遂げることにな
るが、それが今日の「桃太郎大通り」である。



 当時は周辺の人口も多く、加えて北側の天神山地区は、当時の官公庁
街で、また学校の立地も多い文教地区でも有り、路面電車の利用が多か
ったと思われる。加えて沿線の市民も気軽に利用できる、便利な足とし
て重宝に活用されていたのであろう。(続)



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