蒲原の西木戸跡を過ぎ向田川を渡り、宿内を出て県道に合流し次の
宿場由比に向かう。
そこまでは1里足らず、およそ1時間の行程である。
東名高速道路を潜った先で左の旧道に入ると、由比の集落に入る。
しばらく道なりに行くと電柱の足元に一里塚を示す石柱が建ってい
たが、うっかりしていたら見逃してしまうほど、目立たない。
その先には桝形が良く目立つ形で残されていた。
これは宿場の出入り口などに造られた鉤の手状に折れ曲がった道路の
ことで、万一の攻撃を防ぐなど治安維持を目的に設けられたものだ。
由比宿に入ってしばらく行くと「お七里役所の跡」と言うのが有った。
紀州徳川家が江戸と国元との連絡用に、七里ごとの宿場に中継ぎの役所
を置いたといい、ここは由比の役所が置かれた跡だ。
ここには健脚で弁舌と剣術にたけた五人一組の飛脚が置かれ、御三家の
威光を示しながら往来していたそうだ。
宿場の中央には本陣跡が有る。当時の建物は無いが、約1300坪と言
う広大な敷地は公園のように整備され、庭内には「東海道広重美術館」
や「東海道由比宿交流館」などが有り、観光情報の発信、訪れる人々
の休憩施設となっている。
この先にはテーマパークのような「おもしろ宿場館」もある。
由比宿は宿内人口700人余りの小さな集落で、本陣、脇本陣が各1軒、
旅篭は32軒ほどで有った。
こんな小さな宿場から、幕府転覆を企てた首謀者が生まれている。
由井正雪で、「正雪紺屋」の暖簾を掲げた民家が、本陣跡の前には今
も残されている。(続)
こちらも見てね
にほんブログ村