簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

興津宿 (東海道歩き旅・駿河の国)

2020-03-16 | Weblog
 再び街道に戻り、興津の町に入ってきた。
宿場は、JRの興津駅前を過ぎた理源寺のある辺りから始まる。
ここは宿内の人口は1,600人余りで、家数は316軒、本陣と脇本陣が2軒、
旅篭は34軒あったと言う。しかし今日の広々とした通りには、当時の面
影を見つけることは殆どできない。





 民家の玄関先に隠れるように立つ一里塚跡の石碑や、東本陣跡の石碑
などは気を付けていないと見落としてしまいそうだ。
脇本陣であった水口ギャラリーにはこの地所縁の貴重な資料が展示され
ているらしい。しかし時間も無いのでやり過ごし、伝馬所跡に造られた
興津宿公園で少し休み、更に先に進む。





 興津は古くからこの地方では交通の要衝として知られていて、身延
山道はここが追分けであった。またかつては坂東(東北の蝦夷)への
備えの為に「清見関」が設けられていた時期が有ったという。

 宿内が西に途切れる辺り、道が西に緩くカーブすると、「東海名区」
と書かれた扁額を掲げた山門の建つ寺が有る。
奈良時代に創建された古刹らしく、徳川家康縁の寺らしいが、元々は
清見関の鎮護として建立された仏堂が起こりだという。





 山を背景にして石段の上に山門が建ち、石垣の上に甍を並べ、なかな
かの巨刹らしい。しかし山門の直ぐ先には鉄道の架線を支える鉄柱が見
えている。
ここには東海道線が貫き、境内が二分されているのだが、それが何んと
も痛々しい。

 街道は左に坐魚荘の跡地である西園寺公園にやって来た。
西園寺公望の別荘・坐魚荘が有った場所だ。元々の建物は愛知県犬山市
にある博物館・明治村に移築されているが、近年この地には忠実に復元
された建物が立てられていると言う。(続)




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