簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

府中宿  (東海道歩き旅・駿河の国)

2020-03-25 | Weblog


 その先で東海道線を越え、左手の池を回り込むように坂を上りさらに
進めば、草薙の一里塚跡があり、その先に草薙神社の大きな鳥居が見え
てくると府中宿が近づいてくる。
この辺りは再開発された地らしく、広々とした公園のような道路が貫き、
大きなビルが林立し、旧街道の風情などどこにも感じることは出来ない。



 プロ野球の草創期に、日本が誇るエースピッチャーとして活躍した
沢村栄治と、アメリカが誇る強打者・ベーブルースの対決が伝説とし
て語り継がれる草薙球場などの有る運動公園を抜ければ、やがて街道
は静岡市の繁華街に入り込むと、府中宿の中心である。



 3000年も前の登呂遺跡が知られているように、古くから農耕文化が
栄えた地で、徳川家康はこの地で幼少期を過ごし、その後江戸に幕府
を開くと駿府城を築いたので、ここは城下町であり、東海道では最大
規模の宿場町となった。



 幕府を開設した家康が将軍職を辞した後、この地に住み亡くなるま
での9年間、大御所さまと呼ばれたそのお膝元でもある。
そのためこの地には、徳川家にちなむ寺社や建造物が多いと言う。



 当時、宿内3,673軒、うち本陣・脇本陣が各2軒、旅籠43軒を数え、
人口も14,000人(江戸後期)を超える賑わいを見せていたと言う。
しかし今日の旧街道はというと、町中には、鍵の手に曲がる通りは残さ
れているものの、宿場の遺構はほとんど何も残されてはいず、繁華な街
並みの中のサインで知るのみである。



 ここは「東海道中膝栗毛」の作者、十辺舎一九の生まれ故郷であり、
お城には弥次さん喜多さんの像などもあるが、持参したデジタルカメ
ラのメモリーが一杯で、写真を撮れないのが何とももどかしい。(続)



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