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a fire circuit―the stone statues in Aska

2017-05-12 | bookshelf
橿原市の丘の頂上付近にある益田岩船
大きさ11×8×4.7メートル 大きさ推定800トンの花崗岩

 本の整理をした時出てきた松本清張の短編『陸行水行』を再読して、その「解説」に紹介されていた『火の路』(発表当時のタイトル『火の回路』)を読んでみました。
 『陸行水行』は、邪馬台国の所在地を探求する在野の歴史愛好家を通して、著者独自の邪馬台国論をサスペンス絡みで描いた古代史推理小説。その後発表された古代史ミステリー小説の布石になった作品で、長編作『火の路』はその集大成だそうです。
 松本清張全集第50巻めの一冊2段組約500頁は、正直読むのに大変でした。量もそうですが、内容が、『陸行水行』では歴史愛好家の語り口だった古代史が、『火の路』では日本古代史専攻の研究室の助手・通子が主人公で、今度は専門家の語り口で古代史論が展開されているからです。殺人事件が起こるのでミステリー小説としてそれなりに読めますが、やはり日本古代史(特に飛鳥時代)に少しでも関心がないと愉しめないかもしれません。ですが、一度でも明日香村を訪ねたことがある人や、村内に点在する不思議な石造物―亀石、猿石、酒船石、須弥山石、石人像などを見たことがあれば、この作品で取り上げられた古代史の謎に引き込まれることでしょう。
 私は以前、飛鳥資料館を訪れた時、そこの庭には点在する石造物のレプリカが一堂に展示されていてるのですが、石像の解説や説明が腑に落ちませんでした(未だ解明されていないためですが)。
    
あとで石造物の謎に迫った書籍を探してみましたが、定説と変わりないのであまり熱心に研究する学者もいないのだなぁと思っていました。ですが、松本清張氏はこの謎に40年以上前に挑んでいたのでした。小説家の歴史物は無責任なので敬遠していましたが、清張氏の考証は「歴史愛好家」の範疇を超えた本格的なものでした。
 清張氏は、『日本書紀』での斉明天皇(皇極天皇の重祚:天智・天武天皇の実母。吉備姫王の娘)の人物像が、他の天皇と違う点―即位した年に“大空に竜に乗った者が現われ、顔かたちは唐人に似ていた”。“天皇は工事を好まれ…水工に溝を掘らせ…宮の東の山に石を積み垣とした…時の人はそしって「石の山岡をつくる つくった端からこわれるだろう」”―に着目して、彼女が神道や仏教・儒教とも異なる異教を取り入れていたのではないか、それゆえ人々から理解されず謗られたのではないか、と考えたようです。そして、その宗教がゾロアスター教(拝火教・祆教)だったのではないかと仮説を立てた主人公通子は、ゾロアスター教の中心地イランを巡廻します。帰国した通子は明日香村の石造物とゾロアスター教を結び付けた論文を発表します。
 ゾロアスター教。世界史の教科書に名前だけは出てきたので記憶にはありましたが、どのような宗教か全く知りませんでした。何となく怪しげな宗教かと思っていました。『火の路』では通子が体験したことが描いてあって解りやすかったですが、「著者撮影」となっている“沈黙の塔”やゾロアスター教寺院内の写真が掲載されているので、通子が訪ね体験したことは清張氏が実際取材し感じた事なのでしょう。
 ゾロアスター教について調べてみると、“鳥葬”という変わった葬儀が印象的です。樹木が少なく乾燥した大地での死体の処理法として、鳥類に食べさせるというのは理にかなっていたのでしょう。現在では、その“鳥”はハゲタカやハゲワシといった猛禽類と考えられているようですが、古代ペルシャ時代は“カラス”だったようです(本文では烏になっています)。
 この宗教は、火を崇拝するだけでなく、水・大地・空気なども神聖なものとしているため、それらを穢さない方法=鳥葬を選んだということです。教義は、光明神アフラ=マズダ(善神)と敵対する暗黒神アーリマン(悪神)との抗争という善悪二元論。開祖ザラスシュトラ(英語読みゾロアスター。独語読みツァラトゥストラ)は紀元前600年代前期生まれの人(伊藤義教論)、紀元前1200年頃の人(メアリー=ボイス論)など研究者によって大きな違いがみられますが、どちらにしても彼の説いた教えは世界最古の啓示宗教で、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教・仏教などに影響を与えたそうです。
 その宗教が、本当に飛鳥時代の日本に伝わっていたのでしょうか?『火の路』では、その根拠を橿原市の岩船山の頂上付近にある益田岩船という謎の巨石に求めています。通子の論文は、素人の私が読んでも無理があるなと思わせるものでしたが、「光明」が聖武天皇の皇后になった藤原光明子(安宿あすかべ:藤原不比等と県犬養橘三千代の娘。藤原四兄弟の異母妹)に使われていること、光と闇の二元論がヤマト対イズモに当てはめてあること、鳥葬の鳥である神聖なカラスがヤマト政権では八咫烏として神聖化されていること、アマテラス(日の神)とスサノオ(闇の神)の伝説、彦火火出見尊とその兄弟が「火」に関係する名を持つこと…飛鳥時代以外にも、ゾロアスター教に縁がありそうな事柄が『古事記』『日本書紀』に見られます。
 記紀の編纂が始まった600年末~700年代に、ゾロアスター教徒のシルクロード交易商人ソグド人が伝えたソロアスター教がマニ教に変化し、唐で仏教と融合して日本に入っていた可能性はあるのでは、と思いました。

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