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after reading "Das Spiegelbild theater" 2

2021-01-16 | bookshelf

逢坂剛 著『鏡影劇場』袋綴じ部分

 一杯食わされた! これが袋綴じ以降を読んだ私の感想です。
川本三郎氏の書評の中に「入れ子構造になっているのが工夫」とさり気なく書いてありましたが、この作品の構造はさながらマトリョーシカみたいなのです。
『鏡影劇場』という本の作者は逢坂剛ではありますが、表紙をめくると、実は『鏡影劇場』という小説の原作者は本間鋭太という見ず知らずの人物で、その人物から勝手に原稿(フロッピーディスク)を送り付けられた逢坂氏が編者となって出版の仲介をした、というお断りが〈編者識語〉に明記され、次に始まる本編には―『鏡影劇場』本間鋭太・作 逢坂剛・編― と扉が付いているのです。
無垢な読者は"本間鋭太"が書いたんだ…と思いながらプロローグを読み始めることになります。
舞台はスペイン。モノローグだけれども主語が省略されているため性別が不明ですが、どうやら成人男性らしく、かなり専門的なクラシック・ギターの話から始まります。彼はマドリードの古書店で、裏にギター譜が手書きされた古文書を入手します。この時点でこの人物像の叙述はないけれどもこの男が主人公だと思って読み進んでいくと、舞台が日本に移ったところで脇役に回ってしまいます。
古文書が古いドイツ語の文字で書かれてあり、解読するためにドイツ浪漫派の専門家に翻訳の仕事を依頼することになるのですが、その専門家の名前が原作者と同じ"本間鋭太"。
その本間鋭太が翻訳した古文書の内容と補足説明が、E.T.A.ホフマンの半生記になっているのです。ホフマンとドイツ文学を知らない読者も、読み終えた時には立派なホフマニアン(シャーロック・ホームズのシャーロキアンのようなもの?)になっている仕掛けです。
更に古文書―ヨハネスがホフマンの妻に宛ててホフマンの言動を報告したもの―から派生した本間鋭太の雑学が、ホフマンの生きた同時代の日本(江戸末期)にまで話が及び本間自身とつながっていた?!と仰天な展開になります。本当ですか、逢坂さん・・・と思った瞬間、ハタと気づきました。
この小説の作者は逢坂氏で、原作者・本間鋭太は作中人物、つまり架空の人物なのだった、と。だからここに登場する人物の日本名に違和感を感じるのは、作者が意図的に造った名前だからに違いないのです。なにはともあれ、袋綴じ以降で種明かしされて、本編は完結します。
ところが、続く〈あとがき〉には、「この作品は原作者自身が実際に行った例の古文書の解読と翻訳の作業、もしくは自分の専門分野の研究成果を小説風に組み立ててまとめたもの、ということになろうか。」などと書かれてあり、『鏡影劇場』の分析がなされているのです。
おまけに、逢坂氏は仕事の合間に謎の原作者を探して会いに行った、と書いてあります。その様子は〈あとがき〉にしては長文で、まるでホラー小説のような・・・ですが、ちゃんと最後に"逢坂剛"と書いてあります。続いて【謝辞】、文献一覧が掲載されあり、学術書みたいだなと思いながらページをめくると〈編者跋語〉というのがあって、〈あとがき〉から文献一覧までは原作者が逢坂剛になりすまして書いた偽作だと明かされます。
ところが、逢坂氏自身も本間鋭太宅を訪ねて、そこで真の原作者(だと思われる)人物に会ったと告白してページが尽きます。
無垢な読者はいよいよ混乱します。どこまでが幻想(妄想)でどこからがリアルなのか・・・



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