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evaluation of the samurai and picture diary

2013-05-18 | bookshelf
「武士の評判記 『よしの冊子』にみる江戸役人の通信簿」
山本博文著 新人物往来社 2011年刊

 江戸時代後期の江戸城へ勤務するお役人さんが、実際どんな人物だったのか?という疑問に答えてくれる史料に、『よしの冊子』という書物があるそうです。これは、1787年天明7年、田沼意次の後任として老中首座に納まった松平定信が、江戸城内や市中での幕府役人、旗本、町人たちの噂話や発言などを集め、書き留めたものです。そんな情報を集めていた定信の政治は薄ら寒く感じますが、そのおかげで当時の役人の実態がわかるのですから有り難いです。
 しかし、『よしの冊子』を読もうとしても一般人には無理なことで、幸い解りやすくまとめた本が出ていました。調査の対象となっていたのは、定信当人から、老中、お奉行さま、譜代大名など。本の中で紹介されているのは、主だった人物たちだけですが、時代劇でお馴染みの「鬼平」こと長谷川平蔵や、一九先輩が仕えていた町奉行・小田切直年の名前もあって、興味を掻き立てられます。
 現代語に翻訳して紹介された『よしの冊子』の評判を読むと、曲りなりにも時の政権のトップが読む文書であるのに、ちょっとした笑いが交えてあり、ウィットに富んだ文になっているのに驚かされます。例えば、老中の人事について戸田氏教(37歳)が有力候補だと噂されている、として、現職の鳥居忠意(65歳)は役に立たないが、老中が若手ばかりでは「若者中」になってしまうので、鳥居は飾りにでも置いておかないと、「老中」の老の字の甲斐がないと言う者もいる、と記しているのです。確かに人の噂話ですからそういうおちゃらけは言ったでしょう。でも現代なら、報告書にする段階で削除してしまうと思います。そういう事まで「~という噂です。」と締めくくって書いてしまえる世の中だったのですね、江戸時代後期は。そして、お役人の実態は、現代においてもほぼ変わっていないことがよく解ります。
「幕末下級武士の絵日記 その暮らしと住まいの風景を読む」
大岡敏昭著 相模書房 2007年刊
 では、もっと下っ端のお侍さんはどんな暮らし振りだったのでしょうか。大田南畝(下級武士階級)などは、閑な時間に本を読んだり歌を詠んだり遊廓に行ったり酒宴を催したり…と裕福ではないけれどゆったりした生活を送っていたことがわかりましたが、↑現・埼玉県行田市に住んでいた忍藩下級武士・尾崎隼之助(石城)の「石城日記」という絵日記全7冊から、1861年文久元年からの幕末の中下級武士の赤裸々な生活が、ヴィジュアル付きで知ることができました。
 忍藩は江戸から60キロほど離れた小さな城下町で、筆者は安政4年(安政の大獄の前年)に上書して藩政を論じたことで蟄居を申し渡され、中級武士から下級に身分を下げられてしまい、養子先にも居たたまれなくなって、妹夫婦宅に居候している33歳からの1年間を絵入りで綴ってます。石城(隼之助のあざな)は、文才と画才に優れた人物で、知り合いや寺の僧侶から画などを頼まれ、そういうもので生計を立てていたようです。
 なので、日記の絵もシンプルだけれどもリアリティ溢れる絵になっています。一般に、「男子厨房に入るべからず」という言葉があるように、特に武士なんかは料理なんてしないと思っていました。ところが、石城は寺へ遊びに行った折、僧侶の寄り合いの料理を小僧が1人で作っていたのを見かねて手伝ったり、妹夫婦と正月の準備をしたり↑(右の絵)、寺にお泊りした時は、僧侶(友人)と一緒に食事を作ったりしています。食事をするときも↑(左の絵)、家族と和気藹々と食べています。
 また、時代劇など見ていると、冬でも障子開けっ放しで、小さな火鉢くらいでよく耐えられたなぁ、と不思議でしたが、実際はコタツもあって、そこで食べたり飲んだり本を読んだり、寝たりしている絵が描いてあって、やはり寒さを凌ぐにはコタツにもぐりこんでいたんだなぁ、と江戸時代の人々が身近に感じられました。コタツも現代の机式のものでなく、もっと背が高いものも描かれていました。
 では暑いときはどうしてたんでしょう・・・これも現代と同じです。襦袢一枚で、ごろごろ。暑くて脚を出していたり。↑左の「襄山」というのが筆者・石城の別号。仁右衛門は石城が信頼している壮年の先輩武士で、少々髪が薄く描かれています。手前の甫山という人が、石城の一番の親友ということです(著者談)。その甫山の目のあたりが黒くなっているのは、ちょうど彼の家で流行り目になってしまい、眼帯をしているからです。
 日記では、石城はよく外出をし、町内の2、3の寺や友人宅(中下級武士)へ遊びに行き、よく飲み酔っ払い、外出先で泊まったり、料理屋での宴会に参加したりと行動的です。ここで知る限り、中級武士と下級武士、町人や寺の僧侶たちは、とても親密に交流しています。また、武士の妻や料亭の女将などとも、一緒に酒宴で騒いだりしています。江戸時代も末期になると、中級以下の武士たちは、身分などに捉われてはいなかったように思われます。そんなのどかで平和な日常の中で、社交的で誰からも慕われている石城でも酒に酔った勢いで、寺の襖や家具をめちゃめちゃにするほど暴れてしまうこともありました。蟄居中の身で、彼にもいろいろと鬱積するものがあったのでしょう。後にこのことで、自宅謹慎処分を受けてしまいます。そんな時も、友人や僧侶たちがお見舞いに来てくれる様子が書かれています。
 日記は、日付順に紹介されているのではなく、自宅の風景、友人宅の風景、などと著者がカテゴリー別に抜粋しているので、時系列でわかるようにはなっていません。著者は住宅環境が専門の工学博士で、石城日記も江戸時代の住宅を調べる史料として読んだようです。なので、住宅の間取りのことなどに詳しくページを割いていて、本来の日記を読み解く、という文学的アプローチを期待する者にとっては、物足りなく感じました。
 持病があって病気がちな親友の甫山が、身持ちの良くない女と何故か結婚すると言い出し、石城は反対するも結婚してしまった(ようだ)けど、その後どうなったのか、自宅謹慎中の石城を甫山は見舞いに来ないで手紙だけよこしたのは、何か意味があったのだろうかとか、好奇心を刺激させられる日記ですが、内容を追っていないので、わからずじまいなのが残念です。
 『武士の評判記』の著者は、日本近世史の文学博士で、1982年から十数年東大の史料編纂所に勤めていたそうです。史料編纂室なんて、どんなお宝が埋もれてるんでしょうか。『よしの冊子』みたいな面白い史料がいっぱいあるんでしょうね・・・。
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