スターアニスの 『大和路 里の光彩』

アーカイブ中心の風景写真、趣味の書・刻字など・・いろいろと楽しんでおります。

大阪府・道明寺天満宮を訪ねて ⑧

2007-09-04 21:32:21 | 魅せられた「書」探訪
莫山さんの書かれた石碑を探していたところ、大阪府藤井寺市の道明寺天満宮に「一茶」の句碑があることを知った。
昨日、大阪市内からの帰り道、この天満宮に立ち寄ったところ、いろいろ面白いことに遭遇したのだ。

では、この道明寺天満宮とは一帯どういうところなのか。ちょっと面白そうなので調べてみた。

この天満宮は、もともと菅原道真公のおばに当たる覚寿尼公が住職を務めていたお寺。
明治の神仏分離令により道明寺は天満宮の約50m西に移設。
天満宮の境内にはその名残として、菩提樹の木と参道跡が残されている。
約80種800本が咲く梅の名所として知られているところなのだ。

境内には、やたらと灯篭や石碑が建ち並び、さすが菅原道真公とかかわり深く、現在も学問の神様として地元の人々に親しまれているのだ。

この境内で見かけた興味深い石碑・灯篭・樹木を紹介致します。


筆塚。学問の神様として知られる道真公は、また書聖と称され、書の神としても信仰を集めている。
古くなった筆に感謝し、さらなる書道の上達を祈願する筆まつりも行われている。
毎月25日、骨董市が開催されている。


一茶の句 「青梅や 餓鬼大将が 肌ぬいで」 榊莫山さんの書だ。


「君が代は千代に八千代に さざれ石の巌となりて苔のむすまで」
 国歌に歌われているさざれ石です。 この石は白亜紀後期(約七千年前)の和泉層礫岩なのです。



昭和53年(1978年)に、敷地内の三ツ塚古墳の周濠から大小2基の修羅が出土したのだ。 修羅(しゅら)とは、古墳を造るときに必要な巨大な石を運ぶためのソリなのです。ここは道真公の先祖土師(はじ)氏の領地であり、この修羅を使った土木技術も土師一族のものであったと思われる。でも、これはレプリカなのだ。


境内を探したが見つからず、権宮司に案内して貰った。本堂の東西の軒下にあった。一対の燈篭としては、日本で2番目に古い燈篭といわれている。文禄年間の銘があった。


権宮司の許可を得て、閉館中の天満宮天寿殿の中庭にある天満宮で一番古い燈篭を見せて頂いた。康元2年(1257年)の銘があった。


境内のアチコチに石碑があった。


元慶8(884)年、菅原道真公がこの天満宮に滞在し、五部の大乗経を書写した。その時、その大乗経を埋納する地を示したのが、ここ西の宮。天満宮から西側50mほどのところにある。
ご近所の方に聞きながら、この西の宮を訪ねた。
この地の経塚から生えた木を「もくげんじゅ」と言い、その種子で数珠を作り、念仏を唱えると、極楽往生できるというのが、謡曲「道明寺」に謡われている。
現在、「もくげんじゅ」は大阪府の天然記念物に指定されている。


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1 コメント

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Unknown (なりちゃんじいじ)
2007-09-04 22:23:01
こんばんは
関西には古いもの多いですネ、石塔、灯篭も鎌倉時代以前のものですネ。莫山さんの書もあるんですネ
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