スターアニスの 『大和路 里の光彩』

アーカイブ中心の風景写真、趣味の書・刻字など・・いろいろと楽しんでおります。

威厳ある命令調の文字「下馬」「下乗」? ③

2007-08-28 09:55:53 | 魅せられた「書」探訪
由緒ある神社・仏閣には、その門の前あたりに必ずこの「下馬」なり「下乗」の石碑が置いてある。
馬に乗ってきた偉い人を降ろすほどの威厳ある文字でなければならないのだ。

ひとつは高市郡明日香村にある西国三十三番札所・第7番「岡寺」の朱塗りの仁王門前にある「下馬」の石碑。
もうひとつは、多武峰・談山神社の東大門をくぐった広場にある「下乗」と彫られてデンと構えている石碑である。

岡寺の「下馬」


「岡寺」の仁王門前にある「下馬」の石碑。

岡寺の創建は663年(天智天皇2年)。でも、いつ頃からこのような乗り入れ禁止の碑が出来たのだろうか。
この岡寺の場合は、境内への乗り入れ禁止は分かる。階段が多く狭い境内であり、馬では無理。
まあ、それよりも神聖なる境内への立ち入りを禁じたのだろう。


談山神社・東大門の「下乗」 


談山神社・東大門の奥に置かれている「下乗」の石碑。20mほど奥、石垣手前に置かれている。門の真下にあるのは車止めの石。

多武峰・談山神社の場合はどうだろう。
藤原鎌足の墓として678年(天武天皇7年)鎌足の長男で僧の定恵が唐からの帰国後に、父・鎌足の墓を大阪・高槻からこの地に移し、十三重塔を造立したのが発祥である。この領域への乗り入れ禁止は、当時の権力者の墓地であっただけに当然だったのだろう。

ここ東大門の奥に置かれているのが「下乗」の石碑。「乗」の文字が凄い睨みを利かせている。

「下馬」「下乗」というのは、屋外に置かれるためだろうか太い文字が深く彫り込まれ、風雪に耐えるようにされている。

もし、創建当時から置かれているのであれば、1330年以上も経っている。なかなか力強い彫り物だ。これは、書き手より彫り手を褒めるべきだと思うのだが・・・。



4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (のび太)
2007-08-28 13:24:14
下馬or下乗の石碑は、力強く彫られた文字との感じを受けます。 弘前城にも、「下乗橋」と云う橋が在りますが、藩主以外は此処で乗り物を降りなければならない場所だったとのことです。 下馬・下乗と云う言葉(文字)は、馬と駕籠のことを思い出しますが、江戸城に関する記述では「下馬所」と「下乗所」があり、格式の違いで使い分けしてたようです。

返信する
Unknown (なりちゃんじいじ)
2007-08-28 13:58:27
こんにちは
鎌倉にも「下馬」という地名もあり、家康もここで下馬したとかと聞きます。このような石碑があるか?今度注意して確認してみます。「馬」とか、「乗」とか書き順も分かるような気がする・・、書き順がキチントしていないと格好がつきませんね
返信する
Unknown (よりりん)
2007-08-30 02:29:48
面白いおっかけされていますね(笑)。
下馬とか下乗の文字は、よくお寺や神社で見かけますよね。
そういえば、石の形も文字も全然違って面白いですね。
明日香といえば、橘寺のこの下馬の石碑も、門から遠く離れた田んぼの中にあって、面白いですw
本来は、そのからずーっと境内やったんでしょうね。
返信する
Unknown (ヒキノ)
2007-08-30 23:34:02
下馬・下乗は知りませんでした。「駒止め」という言葉があります。これより御神域ということだそうです。そんな意味でしょうね。
力強い彫りの深いものですね。
返信する

コメントを投稿