いろはに踊る

 シルバー社交ダンス風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい。

陶磁器・眞葛焼

2006年04月18日 10時55分41秒 | 兎に角書きたいの!
 平成18年4月22日(土)午後2時から横浜南公会堂に於いて、「眞葛焼」
についての講演がある。講師は、横浜焼研究者の田邊哲人氏である。
 そのパンフレットによると
 『陶磁器の世界では、帝室技芸員眞葛香山の名前を知らぬ人はいまい。しか
  し、その眞葛の窯が横浜の中心地、南区のドンドン商店街裏の庚台にあっ
  た事を知る人は少ない。しかも、明治3年から昭和30年頃までの長期に
  わたって  存在したことを地元の人も殆ど知らない。この眞葛香山は欧
  米のコレクター  や美術界では大変高名な作家であることにもかかわら
  ずだ。
   さすが日本の国宝審議会や重要文化財保護の調査員は見識が高く、明治
  の作家の筆頭として眞葛を認め、平成14年6月26日に東京国立博物館
  所蔵の渡蟹水盤、平成16年6月8日に黄釉白梅花瓶が国重要文化財に指
  定された。国家が重要な文化財と位置づけたことは横浜の美術史の快挙で
  あるはずだ。
   明治の初期の横浜は生糸の輸出のみに陽の目が当たっているが、陶磁器
  生産の一大生産地であった事はさらに殆どの人は知らない。何処にあった
  かと言えば、今の馬車道の横、相生町や常磐町に一つの工場で300人以
  上の職人を抱えていた大生産工場が10を超えてひしめき合い、大盛況で
  生産競争をしていたのである。これらを「横浜焼」といい、有田焼、瀬戸
  焼をしのぐ美陶を世界に発信していたのである。……  田邊哲人』

 私自身も、色々な場所で眞葛焼の作品を鑑賞したことがある。横浜焼きの陶磁
器は、横浜高島屋でも展示販売されている。
 昨日、眞葛焼の窯跡を尋ねてみた。それらしき立て看板を見てがっかりした。
たて1メートル・よこ2メートルほどの掲示板はほとんど真っ白。説明文が書か
れていたのであろう水色がところどころに残り何の掲示板か皆目判明しない。
 窯跡は現在個人の住宅が建っており、そのブロックベイに掲示板が設置されて
いる。ある程度の知識が無ければ、通常の人ではここにたどり着かない。関係す
る機関の怠慢としか言いようが無い。
 当日は、南公会堂内で「眞葛焼」顕彰碑の除幕式が行われると言うが……。
コメント
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