財団法人・日本漢字能力検定協会(京都)が理事会の承認を得ずに関連企業に巨額の業務委託をしていた問題で5月19日に背任容疑で協会前理事長大久保昇容疑者(73)及び長男の協会前副理事長大久保浩容疑者(45)が逮捕された。
あるTV局で前理事長大久保昇容疑者の叙勲祝賀会の模様が放映された。そのなかで長男大久保浩容疑者が挨拶をしていた。その挨拶の中で長男は「私達が今後最も気をつけなければならないことは『足るを知る』ことです」と挨拶していた。その時前理事長の大久保昇容疑は怪訝な表情をしていると私には写った。
長男大久保浩容疑者は、自分達がやっていることのやましさを感じ取っていたから漢字能力検定協会の職員らしく「足るを知る」の言葉が出てきたのではなかろうか。
一商人であった石田梅岩(1685~1744)は、知る者(自己)と知られるもの(事物)を一つにすることを説いていた。すなわち「足るを知る」。欲は必要だが欲におぼれ、それにより自分のみが生きることになることはいけないと。
また映画監督の黒土三男(62)氏は、平成17年に監督作「蝉しぐれ」をハリウッドで一日限定上映会が行われた。その時のアメリカの観客はこの映画を賞賛した。監督は「あぁ、『静の世界』が通じるのだ」と不思議な気持ちになったと述べている。
そして「欲張ってのし上がろうなんて考えない。自らを抑制し、身の丈で懸命に生き抜こうとする。『われ、ただ足るを知る』今の時代ににこそ必要なそんな心が、主人公の生き方に脈々とながれていると思うのです」とも語っている。
「独楽吟」(たのしみは…」で始まり、「……する時」で締められる和歌を詠んだ橘曙覧(たちばなのあけみ・福井市にて誕生1812~1868年)は、歌人として国学者としての生涯を送った。
橘曙覧は、三人の男の子に次のような遺訓を与えている。
うそいふな、
ものほしがるな、
からだだわるな
「だわるな」とは、だらけるな、怠けるなということで「正直・知足・健康」の三っを残したのである。
知足は「老子」に登場する。「足るを知れば、はずかしめられず、止まるを知れば、あやうからず」と。
あらゆる欲望の誘惑からぬけ出し、精神の自由をとりもどしなさい。足ることを知りなさい。もっともっとと追いかけるのではなく、ほどほどに満足して生きなさい。ゆったりとおおらかに…(新井満著『自由訳 老子』
背任容疑の大久保親子は、石田梅岩が説く「足るを知る」ことを知りながら金銭の欲望には勝てなかったようだ。しかし、日本漢字能力検定協会の前副理事長の長男が父親の叙勲祝賀会挨拶で「足るを知る」と述べたことは皮肉な巡り合わせである。
権力や名声や地位や出世や財産などの全てを断念する生き方は出来ないであろう少なくとも凡人にとっては!やはり人には器と言うものがある。己の器の深さをどう自分で理解し納得し人生を送るかは全て自分次第である。
己を知る!ことだと自分に言い聞かせながら努力もし目標を持って己の人生を設計し実行してきた。平凡であり中庸でることに!
あるTV局で前理事長大久保昇容疑者の叙勲祝賀会の模様が放映された。そのなかで長男大久保浩容疑者が挨拶をしていた。その挨拶の中で長男は「私達が今後最も気をつけなければならないことは『足るを知る』ことです」と挨拶していた。その時前理事長の大久保昇容疑は怪訝な表情をしていると私には写った。
長男大久保浩容疑者は、自分達がやっていることのやましさを感じ取っていたから漢字能力検定協会の職員らしく「足るを知る」の言葉が出てきたのではなかろうか。
一商人であった石田梅岩(1685~1744)は、知る者(自己)と知られるもの(事物)を一つにすることを説いていた。すなわち「足るを知る」。欲は必要だが欲におぼれ、それにより自分のみが生きることになることはいけないと。
また映画監督の黒土三男(62)氏は、平成17年に監督作「蝉しぐれ」をハリウッドで一日限定上映会が行われた。その時のアメリカの観客はこの映画を賞賛した。監督は「あぁ、『静の世界』が通じるのだ」と不思議な気持ちになったと述べている。
そして「欲張ってのし上がろうなんて考えない。自らを抑制し、身の丈で懸命に生き抜こうとする。『われ、ただ足るを知る』今の時代ににこそ必要なそんな心が、主人公の生き方に脈々とながれていると思うのです」とも語っている。
「独楽吟」(たのしみは…」で始まり、「……する時」で締められる和歌を詠んだ橘曙覧(たちばなのあけみ・福井市にて誕生1812~1868年)は、歌人として国学者としての生涯を送った。
橘曙覧は、三人の男の子に次のような遺訓を与えている。
うそいふな、
ものほしがるな、
からだだわるな
「だわるな」とは、だらけるな、怠けるなということで「正直・知足・健康」の三っを残したのである。
知足は「老子」に登場する。「足るを知れば、はずかしめられず、止まるを知れば、あやうからず」と。
あらゆる欲望の誘惑からぬけ出し、精神の自由をとりもどしなさい。足ることを知りなさい。もっともっとと追いかけるのではなく、ほどほどに満足して生きなさい。ゆったりとおおらかに…(新井満著『自由訳 老子』
背任容疑の大久保親子は、石田梅岩が説く「足るを知る」ことを知りながら金銭の欲望には勝てなかったようだ。しかし、日本漢字能力検定協会の前副理事長の長男が父親の叙勲祝賀会挨拶で「足るを知る」と述べたことは皮肉な巡り合わせである。
権力や名声や地位や出世や財産などの全てを断念する生き方は出来ないであろう少なくとも凡人にとっては!やはり人には器と言うものがある。己の器の深さをどう自分で理解し納得し人生を送るかは全て自分次第である。
己を知る!ことだと自分に言い聞かせながら努力もし目標を持って己の人生を設計し実行してきた。平凡であり中庸でることに!