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いろはに踊る

 シルバー社交ダンス風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい。

令和元年・5月・皐月・心の健康

2019年05月01日 08時24分51秒 | 心に留めた言葉
 人生に 遅すぎると いうことはない。(安藤百副 実業家1910~2007)

「解説」世界初の即席麺「チキンラーメン」が誕生したのは昭和33(1958)年。開発したのは日清食品の創業者、「ミスターヌードル」こと安藤百福です。わかいころから実業家として成功を収めていた安藤ですが、40代半ばで事業に失敗。食べるものにも困ったとき、思い出したのは1杯のラーメンに行列をつくる闇市での光景でした。
 温かく、簡単に食べられて、保存もきく。そんな麺を開発しようと、自宅の裏庭に小屋を建て、たった一人で研究を開始。1日に4時間しか寝ず、丸1年間1日も休みませんでした。
 このとき安藤は48歳。遅い時期からの挑戦でしたが、お湯をかけただけで食べられる「魔法のラーメン」は空前の大ヒットになりました。人生に遅すぎるということはないのです。

「しあわせのヒント」 この言葉は「50歳でも60歳からでも新しい出発はある」と続きます。

 安藤百福:日清食品創業者で世界初の即席麺「チキンラーメン」の生みの親。製品開発への意欲は晩年も衰えず、91歳にして「宇宙食ラーメン」開発を陣頭指揮。NASAとの共同開発によるラーメンは平成17(2005)年、宇宙へ飛んだ。
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天皇 運命物語

2019年04月30日 09時53分15秒 | 心に留めた言葉
 4月29日(月)NHK放映「天皇 運命の物語」9時~11時35分を妻と映像を共にした。天皇陛下85年の旅路①「敗戦国の皇太子」側近や同級生からる秘話、②「いつもふたりで」日本中が沸いた世紀のご成婚に魅せられた。そしてこの続編が午後放映されることを知り、出掛ける予定を止めて続編を見ることにした。「天皇 運命の物語」13時5分~15時35分③「象徴果てなき道」被災地訪問、慰霊の旅”退位”決断の舞台裏、④「皇后美智子さま」天皇陛下に捧げる愛。全編を通じて、天皇陛下・皇后陛下のお心が全編にわたりしみわたり何度も胸にこみ上げる場面を見、涙が自然にこぼれ落ちてきた。両陛下の心中を察するにまた日本の象徴として苦悩された日常に心からありがとうございました。平和から令和の平和に通じる時代へと時の流れとともに歩んでいきたいとの思いを強くした番組でした。

 作家曽野綾子女史「平成の終わりに」産経新聞
  「…物事にはすべて中心が要る。皇室が、社会の変化の中心の立場を取って下さっているから、日本はその発展の途中もすべての問題においてぶれないでいられた。殊に諸外国が日本という国と接触する時、皇室があるということがどれほど国家としての尊厳を深める魅力になっているか、ふだん私たちはあまり意識しない。…」
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新元号「令和」:万葉集

2019年04月02日 07時07分22秒 | 心に留めた言葉

 天平2年(730)正月13日、大宰師大伴旅人邸の梅園に山上憶良以下下僚30余名が集まり、梅花の宴を催した。中国の落梅の詩になぞらえ、大和歌で梅を詠おうとという趣向である。宴席で32首詠まれた。序文には中国の詩序に倣い次のようにある。
 「…時に、初春の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やわら)ぐ。梅は鏡前(けいぜん)の粉(ふん)を披(ひら)く、蘭は珮後(はいご)の香を薫(くゆ)らす。…もし翰苑(かんえん)にあらずば、何をもちてか情(こころ)を攄(の)べむ…」

(時は良き新春正月、外気は快く風は和らいて、梅は佳人の鏡台の白粉のように白く咲き、蘭は香袋のように香っている。…もし、文筆によらなければ、何をもって心中を述べようか…)

 「万葉集」は、国内統一をほぼ成し遂げた第21代の雄略天皇の「求婚の歌」で始まる。それに続いて登場するのが第34代の舒明天皇の「国見の歌」である。「大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は煙立つ立つ 海原は鷗立つ立つ うまし国そ蜻蛉島(あきづしま) 大和の国は」。20巻4,540首のうち2500余首が作者未詳歌である。
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4月・卯月・心の健康

2019年04月01日 09時38分57秒 | 心に留めた言葉
 創(はじ)めることは 未来に花を 咲かせることだ。(日野原 重明1911~2017・元聖路加国際病院名誉院長で民間病院で初めて人間ドッグを導入されました)

「解説」100歳を超えても現役医師として活躍した日野原重明さんは、91歳になった平成12年(2000)年、元気で長生きする人の生きる知恵とパワーを結集しようと、「新老人の会」を結成しました。65歳なんてまだまだ若い、75歳になったら新成人ならぬ、晴れて「新老人」というわけです。この会のスローガンが「新しいことを創めよう」でした。
 日野原さんの言葉です。「年齢に臆して引き下がるような生き方を、私はしたくありません。私たちのなかに隠された無限の才能は、毎日、引き出されるチャンスを待っています」。
 春は始まりの季節。「もう歳だから…」とあきらめず、あなたも何か始めてみませんか?そして、長生きはするものです。5年後、10年後には思わぬ才能が花開くかもしれません。

「しあわせのヒント」
 いつでも辞められると割り切ってスタートするのも、ひとつの手です。身構えず気楽にいきましょう。
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大岡川沿いの桜・天声人語

2019年03月29日 07時01分06秒 | 心に留めた言葉
 平成30年3月27付朝日新聞「天声人語」欄で横浜の大岡川沿いの桜について語られている。その名文を紹介したい。

 桜の名所の一つ、横浜市南区の大岡川沿いをきのう歩いた。咲き誇る染井吉野の白の向こうに神代曙の薄紅の花が見える。八重紅枝垂れ桜はまだつぼみが多い。一口に桜と呼ぶが、樹種によって咲く時期も色も花弁の形も異なる。区によると両岸に計500本。明治末に住民が植え、戦時中は伐採されて薪にされたが、戦後に植え直される。区は樹齢60、70年をすぎて衰えた木に治療を施す。回復の見込めぬ木は切り分けて住民に提供してきた。
 「さくらの記憶」と命名された事業で、10年間に計2千もの幹や枝が引き取られた。桜の生木は硬くて重い。十分に干さないと加工できず、乾かしすぎれば割れる。花は可憐だが、材としては頑固で扱いにくい。それでも親しんできた桜を自分で加工したい、手もとに置きたいと望む住民は、区の予想を上回った。朽ちた桜が、額縁、座卓、箸置き、植木鉢、靴べらなどに生まれ変わる。彫刻を作る人がいれば、糸や布を染色する人もいる。
<さくら舞い散る中に忘れた記憶と君の声が戻ってくる>。
 大岡川に近い京浜急行の井土ヶ谷駅は、電車到着時にケツメイシの人気曲「さくら」の旋律を流す。メンバーの一人がかってこの街に住んだことにちなむ。桜並木を歩くとふいに記憶がよみがえる。祖父に手を引かれて歩いたこと、一人で足早に通り抜けた10代、恋人と歩いた記憶―。自分の半生を早送りで見るような思いがする。視界が桜色に染まるこの季節ならではの感覚かもしれない。
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3月・弥生・心の健康

2019年03月02日 12時36分20秒 | 心に留めた言葉
 一生の終わりに残るものは、我々が集めたものでなく、我々が与えたものだ(渡辺和子・キリスト教カトリック修道女・1927~2016)

「解説」 人の命には限りがあります。でも、亡くなってなお生き続けるもの、それはその人が周りの人々に与えたものです。職人や伝統工芸などの世界では、昔からの技術が何代にも渡って継承されますが、伝えられるのは技だけではありません。心構えやときには人生哲学など、その教えは技を受け継ぐ人の心に、作品の中に生き続けます。
また、世界には長い年月をかけて作られ続けているものもあります。スペインのサグラだ・ファミリアです。1882年に着工し、およそ140年経った今も未完成なのですが、設計者のガウデイの遺志は弟子たちに託されました。100年後、私たちはこの世にいません。でも、あなたが与えたものは受け継がれていくのです。

「しあわせのヒント」
 あなたがこれまでの人生で得てきた経験や教訓は、周りの人に伝え、世代へ残していきましょう。
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1・月・睦月・青春

2019年01月01日 08時16分47秒 | 心に留めた言葉
 一生勉強 一生青春(相田みつを 詩人、書家1924~1991)

「解説」青春とはいつからいつまでのことを言うのでしょう?多くの先人が教えるとおり、それは心のあり方で決まるようです。この言葉は相田みつをの座右の銘です。年を重ねても心は若々しくありたいと、こんな言葉を残しました。
 「年をとって困るのは、体だけでなく、頭が心が固くなること。心が固くなると、感動、感激がなくなる。一生青春を保つためには、心のやわらかさを保つこと。そのためには、具体的に何かに打ち込んでいくことです」
 相田みつをの書斎はいつも書き損じの紙で埋もれていたそうです。何枚も書いては納得する1枚を選ぶ。そのようにして自分が進む道が正しいか、いつも検証していたからです。一生勉強と一生青春は、一枚の紙の表裏なのです。

「しあわせのヒント」
 「勉強」といってもむずかしく考えることはありません。打ち込めるものであればなんでもいいのです。

「青春」の詩:サムエル・ウルマン
 青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方を言う。薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、たくましい意志、ゆたかな想像力、炎える情熱をさす。青春とは人生の深い泉の清新さをいう。
 
 青春とは臆病さを退ける勇気、安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。ときには、20歳の青年より60歳の人に青春がある。年を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき初めて老いる。

 歳月は皮膚にしわを増すが、熱情を失えば心はしぼむ。苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い青春は芥になる。

 60歳であろうと16歳であろうと人の胸には、驚異に魅かれる心、おさな児のような未知への探求心、人生への興味の歓喜がある。君にも吾にも見えざる駅逓が心にある。人から感から美・希望・よろこび・有機・力の霊感を受ける限り君は若い。霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、悲歎の氷にとざされるとき、20歳であろうと人は老いる。頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、80歳であろうと人は青春にして已む。
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12月・師走・心の健康

2018年12月01日 05時27分08秒 | 心に留めた言葉
 許すはよし、忘れるはなおよし。(ロバート・ブラウニング:イギリスの詩人:1812~1889:赤毛のアンの巻頭はこの人の詩である「あなたは良き星のもとに生まれ、精と火と露より創られた」)

「解説」年の瀬がやってきました。今年はどんな一年でした?楽しかったこと、うれしかったこと、そして時には出来事もあったかもしれません。嫌なことをされた相手を許すのはむずかしいでしょうが、それでも許した方がいいと、ロバート・ブラウンニングは言います。それは相手のためでなく、あなたのためになるからです。
 嫌な思いを抱えたまま生きていくと、心の重荷になり、プラスになるものは生まれません。気持ちの整理ができてスッキリすれば、モヤモヤした感情が居座っていた場所に余裕ができ、楽しいことも考えられるというものです。
今年ももうすぐ終わります。除夜の鐘とともに嫌な思いは水に流し、すがすがしい気持ちで新年を迎えたいですね。

「しあわせのヒント」
 自分のため、しあわせのため、ネガティブな感情とはさよならして、明るい気持ちをとりもどしましょう。
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11月・霜月・心の健康

2018年11月01日 09時58分11秒 | 心に留めた言葉
 思いついたことは すぐやろうじゃないか(市川左団次・二代目・歌舞伎俳優1880~1940)

「解説」「今できないことは、10年たってもできない。思いついたことはすぐやろうじゃないか」 二世市川左團次の言葉です。
 佐團次は歌舞伎俳優として育ちましたが、ヨーロッパへ演劇視察に出かけた後、友人であり作家の小山内薫と自由劇場を創立、翻訳劇の上演に力を注ぎました。また、昭和3年にはソ連で史上初の歌舞伎海外公演を行うなど、伝統の世界に新しい風を吹き込んでいます。
 わたしたちはよく「いつか会おう」、「いつかやろう」などと口にします。でも、行動しなければその「いつか」はやってきません。「すぐやる」をモットーにすれば、自分の世界は広がるはず。それはつまり、新しいことや楽しいことに出会えるチャンスも増えることです。


「しあわせのヒント」
 「いつかやる」は結局やらないので、先送りしないこと。期日を決めてとにかく行動しましょう!
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10月・神無月・心の健康

2018年10月03日 09時23分11秒 | 心に留めた言葉
 ひとりではできることは限られているけれど、力を合わせれば多くのことができる(ヘレン・アダムス・ケラー:アメリカの教育家1880~1968)

「解説」あなたは「がんばり屋」と言われるタイプではありませんか?努力するのはすばらしいことですが、それをずっと続けると自分を追い込むことになります。がんばる自分から少し離れる努力も必要です。
 そのためにも、ときには周りに協力してもらいましよう。それは少しもはずかしいことではありません。たくさんの人が協力し合い、それぞれがベストを尽くせば、1+1は相乗効果で3にも5にもなるはずです。
 この言葉を残したヘレン・ケラーは、三重苦をはねのけすばらしい人生を歩みました。それも、多くの人が力を合わせた結果です。本人の努力とアン・サリバンはじめ、たくさんの支えがあって、奇跡は起こったのです。

「しあわせのヒント」
 「まじめながんばり屋さん」はまず、「完璧じゃなくて当たり前」とおもうことから始めてみましよう。

「ヘレン・ケラー」
 幼い頃に病気で視力、聴力を失うも、家庭教師アン・サリバンの指導と自身の懸命な努力で指文字、言葉を覚え、話すことを可能に。名門ハーバード大を卒業後は身体障がい者の教育をはじめとする社会福祉の充実に生涯をささげました。
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9月・長月・心の健康

2018年09月06日 09時46分50秒 | 心に留めた言葉
 後れをとって うつむいた時、足元に成功が見つかる「斉藤茂太 精神科医、随筆家1916~2006」

「解説」思い通りに事が運ばないときは、他人の成功が目に付きます。例えば同期入社の仲間が出世すれば「自分は出遅れたな」と感じるかもしれません。でも、後れを取るのは決して悪いことばかりではないよと、モタさんこと斉藤茂太さんは言います。なぜなら、立ち止まることで自分を見直すきっかけになるからです。
 じゅんちょうなときに自身を振り返ることはしませんが、一度、自分にあるものをじっくりと見つめてみましょう。それがきっとあなたをしあわせへと導いてくれるはずです。
 そして前ばかりを見ず、ときには視点を変えてみるのもいいでしょう。ため息をついて足元に目を落とした途端、思いかけずよいアイデアが浮かぶことだってあるのですから。

「しあわせのヒント」 人は人、自分は自分と考えれば、他人の言動には惑わされなくなります。我が道を行きましょう!
 
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8月・葉月・心の健康

2018年08月01日 09時34分29秒 | 心に留めた言葉
 チャレンジして 失敗を恐れるよりも、何もしないことを恐れろ(本田宗一郎 1906~1991 本田技研工業の創業者・アメリカ自動車殿堂入りを果たした)。

「解説」
 浜松の小さな町工場を「世界のホンダ」に育て上げた本田宗一郎。「ホンダイズム」と呼ばれるチャレンジ精神で数々の「世界初」を生み出しました。低公害型エンジン、カーナビ、二足歩行ロボットなど、開発は困難の連続でした。しかし、挑戦者は無難な道を選びません。苦労に正面から挑み新しい道を開きます。だからこそ、そこに面白味が生まれるのです。そして、失敗なんかなんのその、やってやるぞの意気込みで、世界をアッと言わせました。
 「技術者の正装はまっ白なツナギだ」と、皇居での勲一等瑞宝章親授式に作業着で出席しようとして、周りを慌てさせた逸話が残っています。技術者としての誇り高く、人間的にも大いに魅力あふれた人物でした。

「しあわせのヒント」
 失敗するかも…という心配はさておき、とにかくやってみること!すべてはそこから始まります。
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7月・文月・心の健康

2018年07月01日 18時34分13秒 | 心に留めた言葉
 はなすことの二倍、人から 聞くべきである。(デモステネス・古代ギリシャの政治家・BC364~BC322)

「解説」これはギリシャの弁論家、デモステネスの言葉です。話すのを得意とした人が話すよりも聞きなさいとは、どういうことでしょうか?
 「あの人は話が上手いな」と思う人の会話を注意深く聞いてみると、実は聞き上手であることがわかります。そのような人はまず、一方的にしゃべったりしません。相手の言うことをしっかり聞き、それを踏まえて自分のことを話します。「話し上手は聞き上手」というわけです。
 また、会話は言葉だけで成り立つものではありません。表情や視線、声のトーンなど、一説によると言葉以外の要素の方がコミュニケーションには大きな影響があると言われます。相手は言葉以外のものも受け取っていることを忘れないようにしたいですね。

「しあわせのヒント」
  相手の言葉をつい遮っていませんか?考え方が違ってもいったん受け止めるよう心掛けましょう。
  
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6月・水月無月・心の健康

2018年06月01日 07時08分04秒 | 心に留めた言葉
 親切は社会を 結びつけている 金の鎖である(フォン・ゲーテ ドイツの詩人1749~1832)

「解説」世のなかには多くの人がひしめきあい、それぞれ違った目的で動いています。それでもバラバラにならないのは、感謝の気持ちを送り合い、互いを支え合っているからです。ゲーテはそれを「金の鎖」と言いました。
 日本には「恩送り」という言葉があります。恩返ししたい相手がすでにいなかったり、いろいろな事情で直接返せないとき、それを誰か他の人に送ることです。例えば、親が親切にした相手から、自分が困ったときに助けてもらう。その受けた恩を今度は自分がその次の代に返す。「恩送り」はこうして何世代にもわたり、時代を超えて連なっていきます。そう考えると、私たちははるか昔から続いてきた温かな営みの上に生きているといえるのです。
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靖国講談会・一龍齋貞花

2018年05月06日 06時39分19秒 | 心に留めた言葉
 5月3日及び5月4日の二回に分けて「パール判事と東京裁判」の講談が行われた。「極東国際軍事裁判所」を担当した連合国11ヵ国の裁判官の中で唯一人の国際法専門の判事である、インド代表判事ラダ・ビノード・パール博士ただ一人がこの東京裁判は「勝利におごる連合国の、今や無力となった敗戦国日本に対する野蛮な復讐の儀式に過ぎない事を看破し、事実誤認に満ちた連合国の訴追には法的根拠が全く欠けている事を論証し、被告団に対し全員無罪と判決する意見書を公にした」。
 その後、東京裁判が違法であることを世界中の政治家や学者が認めるに至った。博士は、裁判後国連国際法委員長などを歴任し、3回にわたって来日し「日本人よ、日本人に帰れ」と訴え続けた。特に、広島の原爆犠牲者慰霊碑の碑文『過ちは繰り返しませんから』の意味を知って激怒した。「誰が誰に対して誤っているのだ」「原爆を落としたのは日本人ではない」「日本の子供たち罪悪感を背負って卑屈、退廃にながされていくのを見逃せない」などと東京裁判の影響を憂い続け、昭和42年カルカッタで亡くなられた。平成9年11月京都霊山護国神社境内に博士の顕彰碑が建立さ続いて平成17年6月靖国神社境内にも博士の顕彰碑が建立された。

 顕彰碑に刻まれた「意見書の結語」
   時が熱狂と偏見とを やわらげた暁には また理性が虚偽から その仮面をはぎとった暁には その時こそ正義の女神は その秤を平衡に保ちながら 過去の賞罰の多くに そのところを変えることを 要求するであろう:ラダ・ビノード・パール

 一龍齋貞花講談師によって「東京裁判」が如何に矛盾に満ちた法を無視した復讐裁判であったかを数々の資料を明示、掲げながら熱弁を振るわれた。現在の日本社会の混迷、歴史認識、教科書問題、反日の丸の偏向教育などの原点は、おしなべて『東京裁判』にあるとする声が大きくなりつつある。

 街の灯りが とてもきれいね ヨコハマ ブルーライト・ヨコハマ…と昭和44年に「いしだあゆみ」が歌ったその彼女が出演した映画は、平成10年5月23日から上映された東映映画『プライド 運命の瞬間』を素材にその矛盾を浮き彫りにし、一方的な断罪に異議を申し立てて日本人の誇りを取り戻そうとするいわゆる「東京裁判史観(戦前のことはなにもかも日本が悪かったという歴史の見方)を批判したものである。

 政治評論家の故三宅久之氏は『憲法9条があるから他国が攻めてこないというなら、台風は日本に上陸するなと憲法に書いてもらいたい』。
         
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