穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

芥川賞評ならびに選評評:1(424ページまで)

2013-08-12 06:51:35 | 書評
ニュースな小説の書評は当ブログの守備範囲である。好き嫌いに関係なく。

でもって、文芸春秋を買いました。今回の芥川賞受賞作は藤野加織さんの「爪と目」。10ページほど読みました(最初の方から?)。其の時点でのポジション・リポートです。

前回の受賞作「abさんご」を激賞したとか云うもと東大総長(名前失念)の意見を読むと小説というのは後ろから読む手もあるかと思いましてね。

冗談はさておき(朝からたちの悪い冗談でもございますまい)、まず感じたのはローレンス・スターンのことです。それで同じ号に出ている本人の座談会、選者の評を眺めましたが、スターンに触れているところは皆無のようです。もっとも、流し読みでしたので見落としているのかもしれません。其の場合は次号以下で訂正いたします。

いまどき珍しい二人称小説であるとおっしゃる選考委員の方はいるようです。たしかにそうですね。あなた、というあたり。普通二人称小説というのは手紙の体裁をとるようですが、これは違うようです。

選評ではしきりにこれに触れているようですが、当ブログは「あなた」と呼びかけることに主眼をおくと一人称小説と云う方がいいかと。「あなた」つまり義母の視点が出てくるんですかね。10ページ以降で。

私がまず目がいくのは、「あなた」と呼びかける人物が三歳ということです。もう一つ、語りの時点がはっきりしない。そうとう後になってから自分の三歳のころを語っているように見えます。3歳と言うとあとで振り返るとまったく記憶がない年代です(普通は)。それが全能の人物(神)のごとく、自分のことはおろか、回りの人物の内面のことをこと細かに叙述する。

また、見たこともない(其の時点では)人物(たとえば「あなた」の母親や、見ることも出来ない自分の父親の単身赴任先での行動を神のごとき視点で見通していることです。こういう点からすると、昔からある三人称いわゆる神の視点であるようにも云えます。

これらの情報がすべて成人して、あるいは物心ついてからの他人からの伝聞情報とするなら、この記述は相当に乱暴なやり方と云わなければなりません。

以上おもに手法上風変わりと選考委員が感心する問題を論じましたが、作品全体としての迫力、あるいは印象は別の問題です。それらについては次号以下、読み進んだ段階で報告します。

なお、上で言及したローレンス・スターンの小説は「トリストラム・シャンデイ」です。このイギリスの怪僧が18世紀に著した小説は3歳どころではない。自分の受胎の瞬間から一人称で記述が統一されています。相当に腕力を必要とするもので、スターンの後この手のめぼしい作品は出ていないようです。