穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

142:第九、三畳の部屋で奮闘

2020-10-24 10:20:07 | 破片

 それから二、三日、第九は洋美からあてがわれた三畳ほどの部屋でハイデガーの「技術とは何だろうか」と奮闘していた。新しい下町のマンションに移ってから、彼はようやく自分の部屋を与えられたのである。昔風に言えば三畳の納戸のようなスペースである。もともとは収納スペースとして設計されていたらしい。窓はない。机もない。机なんか置いた日にはスペースがなくなる。彼は折りたたみいすの上に座ってハイデッゲル教授の妙な本と取り組んでいた。

 いきなり、バタン、バタンと乱暴にドアを開け閉めする振動が響く。今は安マンションでも隣の部屋の話し声というのは聞こえない、たいていの場合はね。夫婦げんかで相手に絞殺されそうになって絶叫でもしない限り遮音されている。ところが鉄筋コンクリート造りのマンションでは壁とか柱とかの構造物をたたくと、その音が増幅されて隣室はおろか、上下左右、数個先の部屋まで響いてくる。鉄筋は優れた伝導体である。もう本は読めない。ただでさえややこしいことが書いてある本である。

「また、となりの樹違い女か」と第九は舌打ちした。どんなマンションにもひとりや二人はおかしな人間がいるものである。となりの女は乱暴にドアを開け閉めする。何回もドアを叩きつけるように七、八回は連続して開閉する。最初は立て付けが悪くてうまく開閉しないのかな、思ったがそうではないらしい。一度、注意しようと思って外に出たら、そこにいた若い女は第九の顔を見ると身を翻して部屋の中に入ってしまった。まだ20台の若い女だった。ちらと見た目は普通の女のようだったが、この頃の世間は分からないからな、彼は呟いた。

 あれは発作なのだろう。外出するときや帰宅した時ばかりではなく日に数回発作が起こるらしい。女に同棲者がいるかどうかは分からない。その気配もない。しかし、一度ドアの上に張り紙がしてあった。「祥子、お父さんに連絡しなさい」と書いてあった。父親が訪ねてきてもドアを開けなかったのかもしれない。発作が起こるのは日中だけなので、洋美は気が付いていないらしい。気の荒い彼女のことだ、きっとそのうちに大揉めにもめるに違いない。

 そっちのほうはワイフに任しておいて、と彼はH教授の本を取り上げた。「彼は遅れてきた本居宣長だな」とつぶやいた。やたらに古い言葉の語源漁りが横溢している。『古い土語でこう言っているだろう、どうだ」とドヤ顔をしてふんぞり返っている。こんなことが哲学探究の根拠になるのかな、そうなら哲学なんて大したことはないな。これは今度ダウンタウンに行ったときに立花さんに聞いてみよう』とかれは決めた。

 



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