穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

144:そのほかに感想がありますか

2020-10-28 06:26:02 | 破片

 その他に感想がありますか、と立花は第九に問うた。

「そうですねえ、この翻訳書には感心なことに索引が付いていますね」

「ほう」

「しかし、出来はよくないようです。それに訳語に気になるところがいくつかありました」

「たとえば」

「本有という訳語がある。あんまり使わない言葉ではありませんか。こっちが学がないだけの話かもしれないが」

 みんなも初めて聞いたような顔をしている。

「私はね、最初は仏典あたりにありそうな言葉かと思ったんですよ。だけど念のために辞書をひいた。電子辞書ですけどね、そうしたらちゃんと出ているんですね。そんなにもったいぶった言葉ではないらしい」

「しかし初めて聞くな」と齢百歳になんなんとする下駄顔が不審な顔をした。「どういう意味なんです」

「本来の、とか生得のと言う意味らしい。別に仏典や漢籍までたどることはないらしい。いや全く自分の無学を恥じましたね、毎度のことだけど」

「いやいやご謙遜で。私も初めて聞いた」

「この言葉が肝心なところで何回も出てくる。よほど重要な概念に違いない。しかし、本来のという意味を気取って本有と言ったところで前後の文脈で意味が通じない」

「へええ」

「それでね、この訳にはカッコつきでもとのドイツ語が示してある、良心的ですね。それを訳すると(とどまりながら生じる)となる。もともとはドイツ語で二語なんですよ。前後の文章から推測すると、(変化していく、あるいは成長していく、あるいは技術によって完成していくが本来の性格あるいは本質は変わらない)という意味らしい。そうとると前後の文脈にうまくハマる。生来の、だけではハイデガーの造語の、あるいは表現の工夫、襞(ヒダ)がまったく伝わらない。どうしてこんな風に訳しているのか分からない」

そして思い出したように付け加えた。

「それからね、これは(建てること、住むこと、考えること)という講演記録にあるんだが、橋、駅、飛行機格納庫、道路なども住むという領域内にあるというところがある。これは訳者が住むという部分がドイツ語でどう書いてあったか示していないが、おかしいでしょう。強弁すれば住むという語の代わりに生活する為の(場所)として橋や格納庫もあると言えばなんとなくわかる、もっと正確に言えば生活するというよりは生計を立てる場所といえば分かる。航空会社の職員にとっては格納庫はそこで働いて生計を立てる場所ですからね。橋は会社への通勤の経路にあれば生計のための構造物と強弁出来るかもしれない。もっとも橋下(ハシモト)さんなんて名前もあるけどね。もとは橋の下で生活していたのかもしれない。いまでもいますよね。橋の下で雨露をしのいで掘っ立て小屋に住んでいる人がね。しかし、ハイデガーがそんな人のこと(家)を意味しているとは思えない。

 皆が笑った。エッグヘッドが締めくくった。「すくなくとも、橋に住むとは言わない。もっとも橋上あるいは橋下生活者と言うのはいるかもしれないが」

 立花さんが言った。「ハイデガーはもともと奇をてらう言い方をする人だが、翻訳者がそれに輪をかけているわけだ」

 

 



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