穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

ウィトゲンシュタインの火かき棒(三)

2018-09-23 08:37:38 | ウィットゲンシュタイン

 たとえば、Wは神秘家だったという記述が数か所である。いずれも取材源は明記していない。そういう評価が彼のまわりで一般的にあったということだろう。

ここで「神秘家」というのはどういうことか、説明があるべきだか全然ない。つまりWは幽霊やたたりを本気で信じていたのか、あるいは彼の性格が傲慢でとっつきにくく、秘密主義的なことをそう表現しただけなのか。おそらく後者の理由で言われていたと推量するが。しかし著者が説明しないから分からない。最初の回で説明したが、論理哲学論考では語りうる世界の外に語りえない存在があると強調している彼であるから、いわゆるオカルティストであった可能性は十分残る。

 

ユダヤの血量について:

 彼および兄弟姉妹のユダヤの血量は75パーセントと言われている。これはナチスの法令では間違いなくユダヤ人として扱われる。彼はユダヤ教徒ではない。祖父の代からキリスト教に改宗している。いわゆる同化ユダヤ人であるがナチスはそんなことは考慮しない。

  ナチスのユダヤ人問題解決が本格化した当時Wはイギリスにいたが、彼の姉二人はウィーンで暮らしていた。亡命を勧めてもオーストリアを離れなかった。Wがナチス高官と直接取引をしたというのは広く伝わる話である。直取引をした相手はナチス副総統ゲーリングであったといわれる。この話は世上有名ではあるが具体的なことは、事の性質上明らかな記録はない。Wは長年求めていたイギリスのパスポートを取得した後直ちにベルリンに単身乗り込んだ。

  最終的に交渉はWおよびきょうだいが相続した海外資産のうち金塊をナチスに提供するということでまとまった。彼の姉二人はドイツ敗戦まで無事にウィーンで暮らしていけた。合意した金塊の量についても諸説あるようだが、この本では1.6トンと明言している。例によって根拠は示されていない。現在の価格でいうと60なし70億円に相当する。この金塊についても世上諸説がある。

  これが多いというのと、思ったより少ない額でうまくWがまとめたという考え方がある。Wの父は成功した実業家でオーストリアの鉄鋼業を支配し、ウィーンの不動産の半分以上を所有していたという。これを考えると70億円というのは少なすぎる。なにしろナチスはユダヤ人の財産を身ぐるみ強奪していたのだから。

  第一次大戦でドイツやオーストリアの経済が壊滅するのを見越してWの父は資産を外国に移していた。どれだけ移していたか、ノンフィクションなら追求すべきなのだろうが、この本の著者は全然調べてもいないようだ。固定資産なんかは海外にそう簡単に移せないから、おそらく動産、つまり内部留保だとか利益分を海外に移したのだろう。それにしても父親の事業規模に比較しても、70億と言うのは少ないようだ。もっとも海外諸国からの送金には厳しい為替制限や監視があったであろうから、銀行を経由しなくても済む金塊ということになったのかもしれない。それなら1.6トンということもありうる。だが、ノンフィクションならそこまで調べなければいけない。

  この種の特例すなわち血統上ボーダーラインにあるユダヤ人をドイツ人として認めてくれ、という申請は数千件あったというが、認められたのはWの場合のほか1,2件しかなかったという。Wはこの種の世俗的な交渉能力も高かったといえる。取り扱いのナチス側の事務取扱責任者はあのアイヒマンであったという。

 


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