穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

おや、亀山郁夫さん

2013-07-16 07:25:43 | 書評
二、三ヶ月前になるかな。書店で単行本でドスト新訳と銘打った「地下室の記録」亀山郁夫訳というのを見つけた。

おや、と思ったね。亀山氏と言えば、光文社古典文庫から出した「絡まん棒の兄弟」が大当たりして、矢継ぎ早に同文庫から悪霊、罪と罰だったかな、の訳書を出した人だが、単行本は集英社からだ。

別のところから出すのに驚くことも無いのだろうが、絡まん棒が誤訳が多いと業界でケチがつき、その後の訳書では訳文が日本語として奇異に感じた。この印象に付いてはこのブログで大学院生あたりに下訳させているのではないかと疑問を呈したこともある。

だからおなじドストものが違う出版社から出ているので、光文社で断られて集英社に持ち込んだのかな、と第一感したわけ。訳者と出版社の義理ということもあるのか、ないのか。

で、買った。

私は特定の作者の作品、評論を集める癖がある。といっても4、5人だが。ドスト物は集めていたのでとにかく購入した。地下室は『地下室の住人」とか『地下室の手記』と訳されていたようだが、亀山氏は「・・記録」と新機軸だ。

もっとも、コレクションでも半数以上は書棚に並べてあるだけで読んだことはないのだ。ドスト物の評論は小林秀雄にはじまって、とくに上質な物が少ないのでね。

地下室の住人(記録)は何回も読んでいるので、とりあえず著者後書きを読んだ。後書きで大体翻訳のクオリテイが分かるからである。これは駄目だと思ったね。今は書棚に並べてあるだけで、本文は読んでいない。

その時にもアップしようと思ったが、売り出したばかりで営業妨害になるかなと控えたわけである。もう大分売れただろうからすこし書いてみようかと。

後書きは大学生の卒論みたいだ。有名な作家がこういったとかいう援用をしている。そのなかに、ジイドがこの作品をドスト後半期への転換点だとかいったという記述がある。これは他の評論でもよく見るが、出典を示したものがない。

亀山氏の文章もおなじだ。本当にジイドが言ったのかな。言ったとしたらどこで、どういう意味合いで言ったのか書くべきだろう。まさか亀山氏が孫引きをしていることもないだろうから。これが雑文家なら許されるだろうが、亀山氏は東京外国語大学の学長でしょう。

この後書きは全般的に文章がこなれていなくてわかりにくい。大学生の卒論みたいと評する所以である。もうすこし、達意の文章が求められるところだ。

ジイドで思い出したことをもう一つ。今までの話と関係ないが、ジイドの権威を援用するスタイルが同じなので。

アメリカのハードボイルド作家ダシール・ハメットの文章か小説をジイドが褒めたか感心したとかいう。孫引きスタイルの記述を時々みる。ハメットの日本語訳者などが箔付けに使う。ほんとかね。出典を明示すべきだろう。

それにしても、今の若者にジイド援用が権威付けになるのかな。四昔前の読者ならともかく、今の若者はジイドなんてしらないだろう。そういう意味でも適切ではない。もっとほかのよりナウイ権威を探すべきだろう(いればだが)。