手打ち蕎麦をする私の徒然日記

2003年1月に手打ち蕎麦に初挑戦。手打ち蕎麦の事ばかりでなく、日常インパクトのあった事柄を思ったまま綴ったブログです。

自動車のナンバープレートって、見えなくてもいいの?

2008-01-21 10:05:26 | 社会
に乗っていて、ときどき不思議に思うことがある。通常、前を走っている車のバックナンバーって、いやでも目に入ってくるが、なかには、このナンバープレートを故意に見えにくくしている車を見かける。そして、最近は以前にも増して、そのような車を多く見かけるようになった。
時として、ある種の事件に関与した車が、それを目撃した人が、そのナンバープレートを記憶していたことで、事件が解決した事例を聞くことがあって、ナンバープレートの存在は非常に重要である。そもそも、ナンバープレートを車体に取り付けることが義務付けられているのは、それが人に見えるように、ということのはずである。
私は、ナンバープレートって、その車を特定するもの、つまり、車のアイデンティティであって、その数字はとにかくとして、車の顔といっても過言ではない、と思っている。それで、私は、いつも洗車のときに車体のどの部分よりも、最も注意を払ってよく洗っている部分は、車のナンバープレートであり、誰が見てもすぐ読み取れるよう心がけている。
でも、車に乗っていると、前述のように、ナンバープレートを故意に見えにくくした車を実に多く見かけるようになったのは、どうしたことなのか。乗用車の場合、薄くスモークのかかったプラスチック板をナンバープレートに重ねたものが多いみたいだ。また、トラックでは、ナンバープレートが、あたかもドロを被ったため、見えなくしたようなものや、ドロ除けのための鉄板などが、偶然にもナンバープレートを隠してしまって、結果として、それが見えないように細工したもの、など、いろんな事例を見かける。
私は、表示義務のある、車のアイデンティティを、あえて見えにくくしている人は、どう見ても、その車のアイデンティティを見られたくない、という人である、としか思えず、明らかにモラル違反であって、その運転者の人間性を疑ってしまう。こんなわけで、最近、モラルに欠けた人が多くなったのだ、と思わざるを得ない。本来、表示義務を謳っている以上、警察署など所管の機関は、はっきりとした表示義務の意識を徹底させるべきである、と思う。例えば、ナンバープレートは交付されたものそのもの自体を車体に取りつけるよう指導して、プラスチック板などとの併用設置を認めない、など、徹底させるべきだ。そして、ナンバープレートを故意に見えにくくしている車の運転者には、罰金や罰則などの措置を講ずるべきだ、と思う。
コメント
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