夜の11時のニュースを見ていた。
皆既月食のニュースが放送されライブ映像が流れた。
11時5分ごろ皆既月食になるという。
そのニュースを聞いて急いで外に飛び出した。
月がどこにあるのか探そうと、取り合えす真上を見上げると、そこに月があった。
端のほうがまだ光っていた。
11時5分を過ぎても光っていたが、数分後強く光る部分は消えて、すべて暗くオレンジ色に光る部分になった。
皆既月食だ。
外は、かなり冷え込んでいて、路地には、人通りも無く、月食を観測しようというような人も無く、TVの音も聞こえず静まり返っていた。
夜空はわずかに雲がある程度でほぼ快晴状態で、少し風があって凍てつくような冬空に、星が美しく光っていた。。
皆既月食を見届けると、寒いのですぐに家の中に入った。
この原稿を打ちながら、11時5分に皆既月食が始まらなかったのは、東京と大阪の時差の問題だと理解した。
皆既月食のニュースは、何日か前から知っていた。
しかし以前に何度か見たこともあり、天文学的意味も余り無いのでほとんど興味も無かった。
先ほど夜空を見上げて、中学生時代を思い出した。
小学生から中学生の頃は、理科が大好きだった。
とりわけ、天文学が好きで、中学では天文部にはいっていた。
私の母校は出来て間もない大阪市立の中学で、私は中学校の第3期の卒業生だ。
クラブ活動は天文部を理科の教師が作ったので入部したが、天体望遠鏡で惑星や、星雲や銀河を見せてもらえると思っていたら、直系2-3m程の半球形の太陽熱反射器の制作が中心となり、毎日大量の鏡の貼り付けでうんざりした記憶がある。
それでも、何日かは、夜に集合して天体望遠鏡で土星や木星を観察し、土星の輪や木星の衛星が見えたので感激した事も覚えている。
そんなことをしながら、天文学情報も、熱心に新聞をスクラップして集めた。
その当時、丁度自我が目覚めた時で、自我とは、自分とは何かと、よく自問自答していた。
哲学書は読んだ事は無かったが、雑誌や、学校でもそのあたりのことが取り上げられていた。
当時の天文学では、島宇宙に関する研究が進展していることが、新聞の連載に報道されていたが、そのとき頭に浮かんだのは宇宙を考える自分、自我とは、何かということに考えが走った。
当然宇宙の果や、神の存在や、まだ確定していない自我や自己認識についても考えたが、そのつど天文学と自我・認識・存在が絡んで頭が混乱し、天文学のことを考えるのが嫌になった。
本格的に認識とか自我に向き合ったのは、確か高校生の頃だったと思う。
多分高校生の頃と思うが、河合栄次郎の「学生にあたう」を必死で読み、カント哲学にあこがれた事もあった。
自分が通っている、工業高校と哲学的なことに興味を持つ自分とのギャップにも悩まされたりもした。
高校の授業にあった、高校生製レベルでも分るようにした物性論(半導体の理解に必要)では、物理学史も挿入しながらの授業だったので、この世界を見る目も、科学中心に捉えるようになり、自己存在や天文学や哲学への混乱も少しずつ無くなった。
(通っていた工業高校には、当時、私以上に哲学少年だった同級生もいた。現在私は哲学や科学その他様々考え方を吸収し、当時の考え方から大きく変わっている。)
それでも、再び天文学のことを冷静に考えることが出来るようになったのは。20代になってからである。
皆既月食に絡んで、私の若い時の思い出の一端を引き出す事が出来た。
皆既月食のニュースが放送されライブ映像が流れた。
11時5分ごろ皆既月食になるという。
そのニュースを聞いて急いで外に飛び出した。
月がどこにあるのか探そうと、取り合えす真上を見上げると、そこに月があった。
端のほうがまだ光っていた。
11時5分を過ぎても光っていたが、数分後強く光る部分は消えて、すべて暗くオレンジ色に光る部分になった。
皆既月食だ。
外は、かなり冷え込んでいて、路地には、人通りも無く、月食を観測しようというような人も無く、TVの音も聞こえず静まり返っていた。
夜空はわずかに雲がある程度でほぼ快晴状態で、少し風があって凍てつくような冬空に、星が美しく光っていた。。
皆既月食を見届けると、寒いのですぐに家の中に入った。
この原稿を打ちながら、11時5分に皆既月食が始まらなかったのは、東京と大阪の時差の問題だと理解した。
皆既月食のニュースは、何日か前から知っていた。
しかし以前に何度か見たこともあり、天文学的意味も余り無いのでほとんど興味も無かった。
先ほど夜空を見上げて、中学生時代を思い出した。
小学生から中学生の頃は、理科が大好きだった。
とりわけ、天文学が好きで、中学では天文部にはいっていた。
私の母校は出来て間もない大阪市立の中学で、私は中学校の第3期の卒業生だ。
クラブ活動は天文部を理科の教師が作ったので入部したが、天体望遠鏡で惑星や、星雲や銀河を見せてもらえると思っていたら、直系2-3m程の半球形の太陽熱反射器の制作が中心となり、毎日大量の鏡の貼り付けでうんざりした記憶がある。
それでも、何日かは、夜に集合して天体望遠鏡で土星や木星を観察し、土星の輪や木星の衛星が見えたので感激した事も覚えている。
そんなことをしながら、天文学情報も、熱心に新聞をスクラップして集めた。
その当時、丁度自我が目覚めた時で、自我とは、自分とは何かと、よく自問自答していた。
哲学書は読んだ事は無かったが、雑誌や、学校でもそのあたりのことが取り上げられていた。
当時の天文学では、島宇宙に関する研究が進展していることが、新聞の連載に報道されていたが、そのとき頭に浮かんだのは宇宙を考える自分、自我とは、何かということに考えが走った。
当然宇宙の果や、神の存在や、まだ確定していない自我や自己認識についても考えたが、そのつど天文学と自我・認識・存在が絡んで頭が混乱し、天文学のことを考えるのが嫌になった。
本格的に認識とか自我に向き合ったのは、確か高校生の頃だったと思う。
多分高校生の頃と思うが、河合栄次郎の「学生にあたう」を必死で読み、カント哲学にあこがれた事もあった。
自分が通っている、工業高校と哲学的なことに興味を持つ自分とのギャップにも悩まされたりもした。
高校の授業にあった、高校生製レベルでも分るようにした物性論(半導体の理解に必要)では、物理学史も挿入しながらの授業だったので、この世界を見る目も、科学中心に捉えるようになり、自己存在や天文学や哲学への混乱も少しずつ無くなった。
(通っていた工業高校には、当時、私以上に哲学少年だった同級生もいた。現在私は哲学や科学その他様々考え方を吸収し、当時の考え方から大きく変わっている。)
それでも、再び天文学のことを冷静に考えることが出来るようになったのは。20代になってからである。
皆既月食に絡んで、私の若い時の思い出の一端を引き出す事が出来た。
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