散歩者goo 

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昨日記130206水(10/4晴 特記事項なし 縄文の話)

2013年02月07日 16時43分24秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日は、ブログを書いた以外は、変わったことはなかった。
夕方から、いつものように気分転換を兼ねて駅前のファストフードに行き本を読んだ。


最近は、縄文時代関係の本を読んでいる。

書くこともないので、今まで読んだ縄文時代の断片を話そう。(記憶の部分もあるので正確ではありません。)
いまだに縄文時代をいつからにするか、確定していない。
それは彌生時代にも言えることである。
弥生時代は、終わりが古墳時代が始まるときで、卑弥呼の時代の直後であろうことはほぼ一致している。
しかし弥生時代の始まりは研究者により違う。
弥生時代の定義づけと、年代測定の仕方で変わってくるのだ。
稲作文化の始まりを中心に考える見方が一般的である。

縄文時代の始まりも定かではなく、土器が作られたときとか気候が温暖化し始めたときとか、研究者により主張が違いはっきりとしていない。
その上年代測定にも精度に議論があるが、今のところ日本では、青森県の大平山元Ⅰ遺跡出土の土器片は1万5-6千年前という測定値が出ているという。
その後1万3-5千年頃に急激な温暖化が始まり今に至っている。(数十年で平均気温が7-8度上昇)
それ以前の旧石器時代は、日本もシベリアのような気候だったと想像され、日本にもマンモスがいて、海面が100m以上低下し、日本は北側で大陸と地続きとなり、瀬戸内海も陸地になっていて、日本海は巨大な湖状態であったという。
このような、急激な気温の変化に伴う人類の適応した文化を、縄文時代と見ようという意見もある。
そして、弥生時代よりはるかに古い縄文時代にも、既に稲作があったことは分かっているので、判定は複雑である。
ただ縄文時代の稲作は、皆で大規模に水田を作り、灌漑をして、収穫した米を貯蔵して、米の神様(稲魂)にお祭りもした弥生時代のあり方でない。
縄文時代は、主食を米として頼るのではなく、栗とかトチとかその他多くの採集食物と同列扱いで、お祭り用としての米の用途の可能性も考えられていて、米作りは一部の地域のみで一時期栽培され全体には全く普及していなかったという。



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