散歩者goo 

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私の体・運動の経過の断片的メモ

2014年11月22日 10時09分35秒 | 医療・健康・運動・食事・予防
私が運動に目覚めたのは小学校のころからだが、運動が好きとか得意とかではなかった。
記憶にはないが、2歳ぐらいにポリオにかかり全身まひとなり、その後回復したが、その後遺症で運動は苦手で、小学校では卒業するまで体育は1か2だった。
小学校高学年の時に、同じ学年の合同体操があり、班単位の共同責任制で、跳び箱や鉄棒やマット体操をやらされ、私の班はいつも最後までの居残りを、よそのクラスの班と競っていた。
同じ班の友達は、目標クリアまでよく協力してくれ、私の運動能力の向上に大きく役立ち、運動能力は低いが、それまで出来なかったことが出来るという達成感を持つことで自信もついた。

こういうわけで、運動するときは、他の人に迷惑を掛けないよう、最低限人並みに出来るようにならなければという強い意識が生まれ、みんなが遊ぶ野球にも下手ながら参加し練習した。
中学になってからも、運動能力は同級生より劣ったままであったが、体育の先生が、多分努力評価でいい点を付けてくれ、自信になった。
工業高校の時は、学校が新設校のため、隣の当時の城東工業高校のプールを借り、水泳の授業があったが、クロールで泳ぐと、半分溺れながら泳いでいて、確か25mは泳げなかったと思う。

社会人になってからも、運動コンプレックスは常にあった。
野球は下手なのでやらないが、卓球は中学時代から遊びでやっていて、社会人になってからも近所の友人たちと遊びでやったりしていた。
仕事が忙しくなると、近所の友人達とも自然に疎遠になったり、友人たちが転居したりして、体を使った遊びはしなくなった。
20歳になって、成人式の後に、教育委員会が指導して親睦グループ作りがありサークルが結成され、サークル活動に参加するようになった。
先輩たちと合同で活動し、その後先輩たちが多く参加していたフォークダンスサークルにも入り、毎週フォークダンスに参加するようになった。
その当時のフォークダンスサークル(すずかけ)のメンバーは、ネットで調べるとフォークダンス協会の役員になっている。
当時、正確なことはよく知らないが、フォークダンスサークルには、YMCA系や政党系のものがあり、私が所属していたサークルは、どちらの人達も参加していたようだが、組織的には大阪市の青年団体協議会の区の組織に参加していて、日赤とよく似た位置づけで、区の行事(文化祭・体育祭)には必ず参加していた。

二十歳の時に参加した親睦サークルや、その後の受け皿となるフォークダンスサークルでは、よくハイキングに出かけた。
そこで山好きの先輩たちから、いろんなことを教わった。
というのは、多くの先輩たちは地方出身者で、集団就職で大阪で働いていたのだ。
彼らは、大阪に来るまでは特に小さいころは野山で遊んでいたので、山の知識(登山ではない)は豊富だった。
そんなことから、ハイキングや山に親近感を覚えるようになった。
その後仕事が忙しくなるにつれ、フォークダンスサークルからも離れたが、ハイキングに魅力を覚え、自分で地図を購入して行くようになった。
その根底には、普段会社で設計の仕事をしていて、体を動かしていないという危機感があり、同時に当時公害問題で、市内も排気ガス等で空もきれいな青空はなく、圧迫感を感じていた。
山には、きれいな空気や湧水があった。
そんな訳で、サラリーマン時代は近郊の山を歩き回るとともに、虚弱な足を鍛えて健脚になりたいという願望があった。
そうして、毎週のようにハイキングに出かけ、運動神経は鈍いが足だけは丈夫になり、体力も人並みにはなったと思えるようになった。

その後、スキューバダイビングにも興味を持ったが、右耳が中耳炎で人工鼓膜にしたので、スキューバダイビングはあきらめ、シュノーケルの素潜りをやっていた。
毎年夏休みには、会社の同僚たちと鳥取県の石見海岸の大羽根尾というところの民宿に泊まり、シュノーケルでの潜りを楽しみ、7-8mは潜っていた。
冬には道具を買い込み、やはり会社の仲間とスキーに行くようになり、一人でも泊りがけのツアーに参加するようになり、中級程度の滑りは出来るようになった。

20代の終わりから30代にかけて、2度の転職を経験し生活は不安定になったが、30代になってからは40代前まで同じ会社で、技術者として活躍し、忙しい日々を送り、同時に探鳥会や古代考古学関係のサークルにも参加するようになり、休日に屋外で運動する時間は少なくなった。
更に、管理職にもなり休日出勤も多くなり運動不足を感じるようになった。
そこで、休日に会議等があった場合でも、終日屋外で活動するのでなく短時間で運動できるジム(ターミナルにある民間のジム)に通いだした。

その後、40歳になった時にでサラリーマンをやめ、アメリカに英語留学した後、喫茶店や民芸雑貨店やギャラリーを始めると、経済的にも行き詰まり運動する時間も無くなった。
2000年にそうした事業に失敗し、非正規の契約社員をしたり、正社員になったりした。
そして2005年に60歳になったのをきっかけに、病気予防のために地元にある大阪市立のスポーツセンターのジムに通いだした。
年をとっても体の抵抗力がつき、大きな病気をしなくなったり、体力が年々衰え、行動範囲が狭くなるよりは、ジムに出費してもそのメリットは大きいと考えたためだ。
その結果は、大成功だった。
体力や、行動力や、体の抵抗力も高まり、大きな病気もせず、行動範囲も広くなり、疲れにくくなった。
加齢による運動能力の限界はあるが、出来るところまで、今の能力を伸ばしたり、維持したいと思っている。


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