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民主主義と政治姿勢の区分考察

2018年05月10日 16時14分14秒 | 政治・経済・社会・法律・文化
自説コメント投稿20180510「青の党」より

右翼左翼リベラルは、科学と違い、人為的に決めたものだ。例えば現代美術はどこからかと専門家に尋ねると、皆答えは違うのが実態だ。歴史区分に関しても同様だ。
哲学的区分でも微妙に違う。
ことほど左様に人文科学の分野は、科学と違って、これが正しい区分というのはないと思う。
区分の基礎になる視点・価値観でいかようにも変わる。ある程度の範囲はあってもこれがリベラルだこれが左翼だという絶対的な物はないと思う。
そうした区分にこだわるより、議論そのものの中身が重要である。同時に人間は多様な価値観を持っていてそうした物の複合体ともいえる。
昔は左翼といえばすべての問題に対し同じ価値観を持っていたが今は多様だ。
ステレオタイプで政治的勢力を右左やリベラルで定義づけようとすることは、ナンセンスだ。
全ての人の政治的考えは日々刻刻動いている。
右翼・中道・リベラル・左翼はそのおおざっぱな政治的ベクトルの総和の傾向を、ある意味統計的な感覚で表現したに過ぎない。

民主主義や国の態勢にも国により様々なスタイルがある。その国風土に合った民主主義を作るしかない。
民主主義を理解していないというが、民主主義の標本があるなんて聞いたことがない。
どの国も歴史的に政治制度をその時々の状況に合わせ変化させていて、民主主義が形になった議会制度、投票制度も各国の歴史的経過で作り上げ、各国でそれぞれ違う。
これが民主主義だという標本は実在しないが、自由主義国ではできるだけ公平に多くの国民の意見を反映させるための議会制度や投票制度を工夫しているのが実態だと思う。
民主党政権時代の批判もあるが、統治方式も各国の憲法で規定されていて、その範囲で各国が運営している。
確かに民主党政権時代の政権運営に問題があったのも事実だろう。
それが今の立憲民主党とどう関係するのだろうか。
過去の、失敗は反省材料として生かせばよいし、正々堂々と過去の失敗に対しての今後の対策を国民に理解してもらえばよいことで、それ以降は、国民が判断することだ。
運用方法により民主的憲法でも運用により独裁化することは、歴史的出来事だけでなく現在も起きている。(トルコやロシアは、警察司法権といった政権の運用で独裁的色彩を強めている。)
意思決定や抗議行動や反論の仕方も、民主主義国=自由主義国であれば、これが正解という議会制度や投票制度は無く多様な形があってよいし、多様な政治的表現方法や抗議方法が法律の範囲内であってよいと思う。


民主主義や国の態勢にも国により様々なスタイルがある。その国風土に合った民主主義を作るしかない。
民主主義を理解していないというが、民主主義の標本があるなんて聞いたことがない。
どの国も歴史的に政治制度をその時々の状況に合わせ変化させていて、民主主義が形になった議会制度、投票制度も各国の歴史的経過で作り上げ、各国でそれぞれ違う。
これが民主主義だという標本は実在しないが、自由主義国ではできるだけ公平に多くの国民の意見を反映させるための議会制度や投票制度を工夫しているのが実態だと思う。
民主党政権時代の批判もあるが、統治方式も各国の憲法で規定されていて、その範囲で各国が運営している。
確かに民主党政権時代の政権運営に問題があったのも事実だろう。
それが今の立憲民主党とどう関係するのだろうか。
過去の、失敗は反省材料として生かせばよいし、正々堂々と過去の失敗に対しての今後の対策を国民に理解してもらえばよいことで、それ以降は、国民が判断することだ。
運用方法により民主的憲法でも運用により独裁化することは、歴史的出来事だけでなく現在も起きている。(トルコやロシアは、警察司法権といった政権の運用で独裁的色彩を強めている。)
意思決定や抗議行動や反論の仕方も、民主主義国=自由主義国であれば、これが正解という議会制度や投票制度は無く多様な形があってよいし、多様な政治的表現方法や抗議方法が法律の範囲内であってよいと思う。


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