散歩者goo 

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昨日記140125土(ノロやインフルエンザと免疫力強化 「美術と場」への考察断片)

2014年01月26日 14時12分44秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
天気 曇/夜雨 6mm   15.0  4.1℃  66% 1.2m 東南東   

昨日は、急に暖かくなった。
22日の最高気温が7.3度で、前日(24日)の最低気温/最高気温が0.4度/12度で昨日(25日)は4.1度/15度である。
寒暖の差が激しいので体調を崩しやすい。
体調を崩すと、体のバランスが崩れるので、体の免疫系も弱くる可能性があるかも知れない。
免疫力は、低体温にすると(体を冷やす)と弱くなることは知られている。
例えばお腹を冷やすと下痢をしやすいのも、日常経験することであるし、体を冷やすと、風邪を引きやすくなる。
病気になると熱が出るというのは、体が免疫力を高めようとする反応の一つでもある。

最近は、ノロウイルスによる食中毒が大流行しており、インフルエンザも流行し始めているという。
報道番組の情報によると、どちらのウイルスも、乾燥に強く、寒さに強いという。
湿度と、ウイルスの生存率の関係も示されていたが、湿度が50%のときと30%?のときでは、時間的な生存率が大きく違ってい湿度が低いと、ウイルスの生存率が大幅に高くなる。
更に乾燥していると、クシャミや咳や吐瀉物や便として体内から放出された微細な飛沫に含まれるウイルスは、飛沫が乾燥することで空中に飛散する。
クシャミをするだけで周囲1-2メーターの範囲に飛まつが飛び散っている可能性があるらしい。
クシャミや咳をする人の近くにいて、病気をうつされた経験は誰でも持っているだろう。
明らかに風邪を引いていると分かる人の近くには、近寄らないほうがよさそうだ。
ノロウイルスは体内に数十個入るだけで感染するといい、1立方センチの便等に含まれるウイルスは億単位であるという。
水洗便所で流すときに、便座の蓋を開けて汚物を流すと、無数の目に見えない飛沫が周辺に飛び散っているという。
便所では、汚物を流すときには、便座の蓋をしてから流すことを推奨しているようだ。

この時期に電車に乗ったり、買物に出かけたりすると必ず咳やクシャミをする人に出会う。
人ごみに出かけるということは、感染源をもらいに行くよううなもなのかもしれない。
しかし、会社や学校に行くのに、公共交通機関は利用するし、食料品等は日々買出しに行かないわけにはいかない。
その意味で、日ごろの手洗いやうがいは、外出から帰った後はこまめにすることが大切だろう。
このように考えると、多少ウイルス等の病原体をもらっても大丈夫なように、免疫力を高める必要があるだろう。

一般的な日常食品の中にも免疫力を高める食品は多い。
例えば、ココア、みかん、ヨーグルト・乳酸菌類(ヨーグルト・乳酸菌そのものに免疫力を高める作用があるが、最近はヤクルトその他ヨーグルトで、免疫力強化のデーターを出して宣伝しているメーカーが多い。詳細は各社のショーグルト・乳酸菌類のHP参照。(明治・森永・ヤクルト・・・・)きのこ類(椎茸 マイタケ エノキダケ・・・)
ただ、アレルギーその他免疫系疾患の方は、問題があるかもしれないので、食べるときはかかりつけの医師に相談したほうがよい。

その他、睡眠を充分とったり、熱めのお風呂への入浴や、ジョギング30分程度の運動で、体温を上げて(38度)熱ショックたんぱく質を増やすということも考えられる。


健康関連の話が長くなった。
上記の話は、私の記憶をもとに書いてあるので、記憶違い等不正確なところがあるかもしれない。
時間があれば、これに近い内容をリンク等で根拠も示し、別ブログで書きたい。

昨日は、終日食事関係の家事が前日までに完了していて、必要なときに、ご飯も温野菜も電子レンジで過熱するだけでいい状態になっているので、食事に関しての余計な時間と手間のかかる仕事が省けて、気分的に非常に楽であった。

午後から大阪市立中央図書館へ、本の返却と借り出しに行った。
1月から、本の貸し出しが15冊に増えてらしい。
図書館から、地元の駅に戻り、そのまま帰宅せずに、西天満の画廊街に向かった。
番画廊が、なくなりまわる画廊が減って、寂しくなった。
近年は、西天満の画廊は、休廊する画廊が多くなった。
昨日は、年始なので、元々画廊が開き始める前後にあたる。
西天満でいつも回る、5軒の画廊のうち、天野画廊、wks HOTが休廊なので、白とOギャラリーに行っただけであった。
どうも大阪の現代美術の中心地の一つ、西天満が寂れつつあるような気がしている。


ここで一考 考察の断片
美術は、展示する場所があって初めて成立するものである。
芸術は、哲学的には人間の精神活動のコミュニケーションの一種で、創造者と鑑賞者がいて、作品を媒体として成立するものなのだ。
無論創造者だけでも、本や美術工芸の作品があれば成立するが、鑑賞者の存在が無ければ不完全であろう。
例えば、埋もれた芸術作品(秘蔵された)は社会的評価は、得ようがない。

そもそも、人類は富や財産を残し継承し、文字や作品で次の世代に文化文明を伝承することで、社会を形成してきた。
文字や作品が同時代の社会の人に認知され、次世代に継承されなければ、社会に存在しないのと同じで、個人的な自己満足に過ぎないのだ。(後世に見つけられ評価されても良い)

その意味で、芸術の一分野の美術は、視覚による表現(芸術)という性質上、その作品を他の人(鑑賞者)に「見せる場・聴かせる場」が必要なのである。
美術の場合は、鑑賞者はその場に「わざわざ観に行くこと」が必要となる。
「わざわざ行くこと」の意味について、美術関係者は念頭に無い場合が多いが、一般の人から言えば、大きな障壁であり、障がい者の方や老人から見れば、更に大きな障壁となる。
そのことを考えると、展示する場所が集中するということは、鑑賞者にとって多くの作品を容易に見ることが出来、大きなメリットであり、それは、作家にとってもメリットである。
美術の一般への普及という面での議論は、まったく別の次元の話である。
(場の問題以前に、美術に魅力を感じるか・関心があるかどうかという問題であり、美術教育の問題にまで及ぶし、本質的にすべての人が芸術や、美術に関心があるかどうか疑わしい。<人により、運動が得意とか、政治が得意とか、商売が得意とか、それぞれ違った才能なり関心が限定されている可能性がある>)
ただいえることは、作品を多くの人に見てもらいたいのであれば、鑑賞者の立場を中心に、考えるべきだということだろう。
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