散歩者goo 

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昨日記20220116 日(プチ断食 オミクロン急拡大)

2022年02月14日 23時59分39秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
朝からプチ断食を実行した。
このころ、報道ではオミクロン感染の急拡大が連日報じられていた。
それまでの報道で、オミクロン株は軽症であるという考えが世間では浸透していたが、この頃から感染力が欧米で言われている通り非常に強く、問題になりそうな予兆を警戒する意見が強まり、報道の仕方も変化してきた。

前日の疲れもあり、朝から眠く昼寝を多くとりながら、漠然とTVを見ていた。
午後、卵パックに植木鉢の土を入れた苗床に、ネットで取り寄せた菫の種をまき、水をやった。
その前に、種を一晩水の中に浸しておいた。
多分時季外れの作業なので、うまくいかないと思っている。
夜は副食作りに追われた。



上記は、寝る前に書いた文で、今読み返すとひどい乱文だったので修正。
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昨日記20220115 土(トンガ火山大爆発)

2022年02月14日 23時47分31秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
トンガの海底火山が大爆発した。
朝からとある会合に出席するため、久しぶりにターミナル駅まで出かけた。
その席で、いろんなことに関し、自分が思っていることは述べたが、知っている人はほぼ皆無で、最近立ち話程度で話したらしい人が数人いる程度だった。
出席者のほとんどの人たちは、お互い顔なじみのようなので、非常にやりにくかった。
話し合われた内容は、会議体の形式にこだわっているようで、形だけを気にするのは学校や官公庁や組合に見られる傾向で、悪しき習慣と思う。
民間企業や組織は、形式にはこだわらず、実質何をするかいかに効率的に実現するかで、知恵を絞っている。
形式的、見せかけだけの成果主義は、実質的に失敗する可能性が強いことが多い。
というのは、形式にこだわり、本当に必要な中身が練れていないからだ。
以前にもそういったことは、会社を含めいろんな組織で何度も経験している。
盛大な大会らしきものをやったが、その年の発表された成果は虚構だったし、それ以降も成果を出していない組織もあった。
そういう組織や行事(形だけ盛大で中身は空っぽ)は、昔の組織や古い組織(例:町内会 役所の企画行事)によくみられる。
午後から夜にかけては、かなりストレスがあったようで、疲れ無気力にTVを見ていた。


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昨日記20220114 金(政治活動について)

2022年02月14日 21時25分27秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
午前中長い昼寝をした後、夕方から夜にかけて、遅れている昨日記を書いた。
このころ政治関係のラインのやり取りが重荷になり、かなり精神的ストレスになり疲れていたようだ。
こうしたことを感じながら、なぜ政治活動に首を突っ込み始めたのか考えた。
そして、今やっている政治活動(といっても野党内の問題点を議論するだけなのだが、)のもやもやは何なのか。
その原因の正体を、原点に立ち返って考えてみた。

政治活動は、市民の自由意思で老若男女が自由に行えるものだ。
誰にも、強制されることはないし、気を使うこともない。
政治組織内や議会では組織のヒエラルキーは存在するが、それ以外の場では、すべての人が平等に発言できるし活動できるし、他者に義理立てや人情的に気を使う必要もない。
もし議員たちや政党関係者が、指導してやるといった意識を持つなら、間違いであろう。
政治的には全員平等で、議員や政党組織は市民生活上の意見や問題点(経済・外交・防衛・・・・を含め生活のすべてに絡むこと)の意見や考えを調査取りまとめ、市民を代表して選挙でえらばれ、市民の声を取りまとめ代弁する人たちなのだ。
民主国家ではそうした政治家(政党)の多数派が権力を握り、行政機関の長となり行政執行を行うようになっている。
そういう意味では市民と政治家は、対等でなければならないと思っている。
むろん市民の意見を代表する人や組織の人は、それだけの見識もあるものとして経緯を払う必要はあるが、上下という関係ではないと考える。(組織内では当然指揮命令系統=上下関係はある。)
しかし政治家の中には当選すると、天下を取ったような気になる人が多いらしいことは、様々な報道や日頃の立ち居振る舞いでよく知るところだ。
特に与党の政治家は、自分が権力を把握していることを肝に銘じ、市民から行政権=権力を委託されているということを肝に銘じ、謙虚でなければならない。
また、政党組織に属する人は同じ政党の価値観を共有するものであり、その組織の形は各政党ですべて違うし、だれでも政党や政治組織は作れるし、その形に決まった形や組織はない。
むろん、法律上で政党関係法や政治資金規正法といった法令は、守る必要がある。
政党は、歴史的に見ても保守もリベラルも、集合離散繰り返していて、現在ある政党がそのまま存続すると考えないほうがよい。
だれでもいつでも、ある政党の考え方に共感し、活動に参加して志を同じくする者同士で後援会なり党員やその関係者になるなりして、組織を作り政党活動を行うということだろうし、その活動の仕方には自由である。
そうした組織の中には、上意下達の組織もあれば、親分子分の関係の組織もあれば、組織構成員が横並びの組織もあるだろうし、場合により誰が責任者かその権限がはっきりしない組織があるかもしれない。
そのあたりは、会社や学校やその他目的を持った組織と違うところかもしれない。
しかし、票を集めることが目的ということであれば、構造的に会社組織と似た関係になる。
会社組織の場合は従業員がいて、従業員は報酬をもらうために仕事をしていて、業績を上げ効率的な仕事をし、利益を追求するための組織であり、その組織論は多く存在する。
ドラッカーの組織論は大ベストセラーになり漫画にもなり注目された。
構造的に見れば、政党が最終的に集票を目的とする組織であることは明白だ。
政党を大きく強くする場合には、こうした観点を見落としてはならない。

それと同時に、集票先(顧客)の有権者は自由人であり、政党の政策により、有権者がよしとする政党はどんどん変化する。
同様に、政党の政治活動に参加しようと思う人や既に参加している人でも、政党内部で政策や人事や政党関係者の処遇や関係性(独裁的になったり上意下達になったりアナーキーになったり)が変われば離反するであろう。
このように考えると、政治活動は人間の動きそのものということができるようだ。

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