昼から立憲民主党大阪府連に行き、その後天王寺駅周辺に行き8人前後で、歩きながら「都構想反対」のチラシを配った。
こうした活動のため、立憲民主党の本部(東京)や青森県連や京都・兵庫からも応援の人が来ていた。
天王寺駅前では、立憲民主党の地方議員や国会議員も代わる代わる演説していた。
それ以外、自由民主党、社民党、共産党、れいわ新撰組、市民団体、がそれぞれ街宣車を繰り出し、さながら総選挙のような雰囲気で、都構想反対を訴えていて、それぞれ人だかりができていた。
ビラを配っても、すでに期日前投票で反対に入れたとか「がんばれ」といった励ましの声が多く、かなり手ごたえがあった。
数か月前までは反対は、30%台程度で、都構想が決まるものと思っていた。
この日も、報道では反対派が盛り返し、かなり接近しているとの報道だったが、内心組織が強く、吉本や在阪マスコミと親和性の強い維新の巻き返しがあり、とても無理だろうと半ばあきらめていた。
それでも、私としては愛する大阪市のために、とにかくやることをやって都構想が決まるなら民意なのであきらめがつくと思い、できるだけのことをするために、立憲民主党の活動に参加した。
私は立憲民主党では年500円払えばだれでも加入できるパートナーという友の会のようなものに参加している。
党からは党員への案内も来ていたが、3000円?が必要なことと、義務が生じるので党員にはなっていない。
2年前はパートナーズの活動があり半年あまり参加したことがある。
今から思えば、党はパートナーズを組織化して活動を行うことは期待していなかったようだが、一応活動のリーダーを東京から派遣して、その方法論を模索していたようだが、実らなかった。
当時いろいろ提言したが、実現しなかった。
こうした活動に参加して実感したことは、政治活動とは人間のつながりが最も重要な要素ということがよく分かった。
ある意味政治は対話であり、またどぶ板選挙の人と人との交流でもある。
政治団体や支持者には、多様な人が含まれる。
知的レベルの高い人から認知症寸前の人まで、老若男女、様々な地位や職業や経験や体験をした人たちが党員となり、パートナーズとなり、支持者となり、それらが票として表現され、議員の数となり権力構造を形成するのだ。
当然庶民の政党支持の動機や期待は、様々な重層的で多様な価値観が根底にあり、それは時とともに、また歴史的・社会的・経済的・人間的環境(伝統や風土も包含する)とともに大きく変化する。
一時期、大阪府は左翼革新系が強く共産党の知事だったこともあるが、今逆の維新の知事だ。
そういう意味で、政治は一筋縄ではいかないし、論理で割り切れるものではない。
いくら科学的論理的に正しいことを言っても、支持されないことがあることが当たり前と思うべきなのだ。
説得は政治の最大の仕事である。
そもそも政治は価値観や利害関係の違う集団(国家・地域)の共通の問題を調整するための手段である。
価値観は科学や論理ではない。
好き嫌いであり信念であるから、そのまま押し通せば衝突し、どちらかが服従するまで争われる。
民主政治はその問題を調整妥協し、時に昇華してそれに代わる新しい考え提示する働きをするもの考えている。
そういう意味で政治にとって、妥協のない原理主義は危険であり、原理主義がぶつかれば征服するか服従するかしかなく、不幸な事態になる。
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