老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

東播磨を訪ねて その①(播州)清水寺

2018年08月02日 19時50分44秒 | 旅行/色々な風景
 ここの所、余りの暑さ続きや不順な天候などもあり、しばらく外出を見合わせていましたが、クーラーを効かせた自宅に籠っているのも逆に不健康だとも思い、昨日は久しぶりに小旅行をしてきました。

 今回の目的地は、東播磨というか兵庫県播磨地区の加東市並びに加西市方面です。
加東・加西の“加”は“加古川”で、要するに加古川の東か西かという事で、何れにしても加古川の流域という事になりますが、西播州と神戸には詳しい私には、今まで余りご縁が少なかったエリアです。

 主目的は、先日から意識して訪問している西国三十三カ所観音霊場巡りの一環として加東市にある清水寺と加西市にある一乗寺でした。

 先ずは、家から近い方の清水寺を目指しましたが、新御堂筋⇒箕面トンネル⇒とどろみ⇒中国道⇒舞鶴道で三田西に到着。
ここから地道で山の中に入り、途中からお寺の専用道路で更に山奥の寺院を目指すルートを選びましたが、新御堂筋が結構混んでいた為か2時間ほど要しました。

 辿りついた清水寺は山号を御嶽山という天台宗の寺院で、西国三十三観音霊場の第25番札所ですが、有名な京都市の音羽山清水寺と区別するため播州清水寺と呼ばれています。

 結構古い寺院で、寺伝では1,800年前に天竺(古代インド)僧の法道が創建したとされ、627年(推古天皇35年) に推古天皇直々に根本中堂を建立。さらに725年(神亀2年) 聖武天皇が行基に命じて講堂を建立したと伝えられているようですが、日本へ仏教が伝来したのは6世紀(約1,400年前)のこととされており、“1,800年前に法道が創建”との伝承は後世の付託であるのではないでしょうか。

 古刹だけに、立派な伽藍があったようですが、明治末期と大正2年に3度の山火事で殆どを焼失し、更に仁王門も戦後に台風で大破するなどの被害を受け、現在ある伽藍はその後に再建されたものが多いようです。

 暑い時期だけに参拝客は少なく、静かな山の中の名刹をゆったりと参拝できました。(まさ)


仁王門

境内の参道。立派な石垣に沿った道です。

同上

薬師堂内の十二神像

大講堂

同上

同上 廊下

根本中堂に向かう急な石段

同上。上に根本中堂が見え始めました。

根本中堂

鐘楼

滾浄水(こんじょうすい)この寺院の名前の由来となった井戸のようです

境内で見掛けたノリウツギ。アジサイの仲間でカシワバアジサイに似ていますが葉の形が少し違います

同上の装飾花

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