『国宝 上・下巻』by吉田修一
~1964年元旦、長崎は老舗料亭「花丸」―侠客たちの怒号と悲鳴が飛び交うなかで、この国の宝となる役者は生まれた。
男の名は、立花喜久雄。任侠の一門に生まれながらも、この世ならざる美貌は人々を巻き込み、喜久雄の人生を思わぬ域にまで連れ出していく。
舞台は長崎から大阪、そしてオリンピック後の東京へ。日本の成長と歩を合わせるように、技をみがき、道を究めようともがく男たち。
血族との深い絆と軋み、スキャンダルと栄光、幾重もの信頼と裏切り。舞台、映画、テレビと芸能界の転換期を駆け抜け、数多の歓喜と絶望を享受しながら、その頂点に登りつめた先に、何が見えるのか?
朝日新聞連載時から大きな反響を呼んだ、著者渾身の大作。「BOOK」データベースより
『悪人』から10年、吉田修一氏が世に放つ、渾身の大作とのことで、職場の同僚の薦めもあり、図書館で借りてきました。
歌舞伎って、日本人ならみんな知っていると思いますが、やはり、どこか遠い世界のことで、「いっぺん観たいなぁ~」と、思いながらも、実際に観たこともありませんし、観劇券もお高いですからね(^_^;)
そんな歌舞伎の世界の裏の裏側まで描ききった吉田修一氏ですが、こういう「歌舞伎とは」的な小説を書くと、本家本元から「なぁ~にを!歌舞伎の実際を知らん素人がぁ!
」と、歌舞伎関係者の方から言われそうなもんですが・・・。
吉田修一氏のインタビュー記事、
『歌舞伎の黒衣経験を血肉に、冒険し続けた4年間 吉田修一さん新刊「国宝」1万字インタビュー』を読むと、
四代目中村鴈治郎さんの粋な計らいにより、黒衣の衣装を身にまとい、歌舞伎座の舞台裏で密着取材をさせてもらっていたんですね。
実際の舞台裏や楽屋で、鴈治郎さんの側に居続け、女将さんやご家族、付き人の方々との交わり、舞台裏の通路などで役者同士が交わす何気ない会話、女形の役者が普段の姿から役に入り込む瞬間、また役から一人の男性に戻る瞬間などを目の当たりにして、その空気感・雰囲気を肌で感じ取った吉田修一氏だからこそ描けた歌舞伎の世界観が見事に表現されています。
歌舞伎の演目や、そもそも
『上方歌舞伎』と『江戸歌舞伎』の違いなんてことがあることすら知りませんでしたし、大いに勉強になりました。歌舞伎を知っている方なら、演目の情景や役者の仕草なんかも目に浮かんで、もっと楽しめると思います。
読み始めてからすぐに、「この『~でございます。』という語り口調に何か違和感あるわぁ~。普通でええんちゃうの?」と思いながら読んでいましたが、読み進めるうちに、「あぁ~これは、この歌舞伎の神様的な?後世の講談師なんかが『~と相成りました。』的に語る方がしっくりくるよね」と納得しました。
吉田氏のインタビューにも・・・、
~普通に喜久雄の一人称もやったし、春江で女性の一人称も試してみたし、三人称で神の視点もやってみたけれど、どれもしっくりこなかった。
それこそ七五調もやってみたけど、語りを捜すだけで2、3か月かかったと思います。
歌舞伎役者って、テレビで観ても、あきらかに何かが違うじゃないですか。普段話す言葉を聞いていても、ワンランク丁寧な感じがする。ひょっとするとそのへんかなと気づいて、普通は「~です」と言うところを「~でございます」と書いてみたら、ようやくピタッときたんです。
ということでした。
ストーリー的には、「こんなにジェットコースターのように、良いことと悪いことが繰り返し起こる?」っていうぐら、浮き沈みの激しい展開です。色々な伏線が巧みに仕掛けられていて、それらが下巻で一気に繋がっていく様は見事です。
しかも、「こいつだけは許さん!」というような悪い人(多少の悪役は出てきます
)も出てきませんし、みんながみんな温かく思慮深く、歌舞伎や歌舞伎役者というものを大切に大切にしている姿は、読んでいて気持ち良かったです。
キャラクターとして一番良かったのが、もちろん『徳次』ですよね。牛若丸に寄り添う弁慶のように、陰に日向に喜久雄の盾となって活躍してくれます。
構想から4年間にわたって取材と新聞連載を続けた、吉田修一氏の、まさに「集大成」ともいえる大作ですので、歌舞伎に興味のない方も是非一度読んで欲しい作品です。
★★★★4つです。
読み終わったあとで、「あぁ~海老蔵さんも、かんげん君も大変な世界に生きてはるんやなぁ~・・・
」と、シミジミ思った次第です。※本年5月に(海老蔵⇒十三代目 市川團十郎 、勸玄⇒八代目 市川新之助を)それぞれ襲名予定。