「愛と幻想のファシズム」by村上龍
1990年、中南米にデフォルトの波が起こり、世界経済は恐慌へと突入。サバイバリスト鈴原冬二をカリスマとする政治結社「狩猟社」には、官僚、企業家、思想家、法律家、学者、テロリストが集結し、社会的ダーウィニズムを実行していく。良識派は彼らをファシストと呼んだが、「狩猟社」は過激派をつぶし、労組のストを破壊し、要人にテロを加え、反対派を廃人にしながら、一気に日本の中枢を獲ろうとする。そんな彼らの前に、恐慌後秘密結成された多国籍企業集団「ザ・セブン」が徐々にその恐るべき姿を現わす。危険な予兆をはらんだ衝撃の近未来政治小説。「BOOK」データベースより
ようやく読み終えました・・・(;´▽`A``
本来、先週の23日・24日の鬼怒川行きで読み終える予定でしたが、思いのほか時間がかかり、トイレの中、ベッドの上、車の中、地下鉄のホーム・・・ありとあらゆる場所で読みふけりました。
話は全く変わりますが! プレイステーション(現在PS3といわれるゲーム機の元祖です)に少しハマっていた頃(9年ほど前のですが)バイオハザード2が発売され、スゴイ人気でした。(今は4が出ているようです。)
当時、家に帰るとすぐに電源を入れ、夜中までずっとやってました。ちょうど嫁さんがつわりで苦しんでいる頃だったので、あの衝撃的な映像は胎教には、良くなかったことでしょう(^_^;)
そして、バイオハザード2を制覇した後、中古ゲーム屋で格安で売られていたバイオハザード1を購入し、家に帰って、早速やり始めましたら・・・もうそれはそれはチャチな動きで、映像からストーリーから仕掛けから・・・当たり前の事ですが、2とは比べ物にならない出来栄えでした。
あたり前のことですが、1をやってから2をやれば、何の問題もなかったのでしょうが、逆はダメですね。
「愛と幻想の・・・」の感想は、そんな感じです。「希望の国のエクソダス」を読み、「半島を出よ」を読んだ後で、「愛と幻想のファシズム」を読んだので、その原点を読んでいくような感じでした。
主人公のトウジの頭の中の思考や叙情、禅問答のような会話、詩的な描写などが氾濫し、そこに「シナリオ」を進めていく上で裏付けとなるデータ、軍事用語、労働争議、カタカナ語、横文字などが配置され、世界観や歴史観などがミックスして、読み砕いていくのに時間がかかりました。
上巻に比べて、下巻は幾分マシになり、読むスピードが上がりましたが、ラストのインパクトに少し欠けましたかね。「これだけ盛り上げておいて!?」という感じで、『巨大なる祈り』から偉大さや崇高さも感じず、『ザ・セブン』という存在からも最後まで恐怖を感じることはありませんでした。
もう少し、抵抗というか、トウジたちが行き詰るような場面が欲しかったですね。
前にも似たようなことを書いたと思いますが・・・
村上龍の作品を追っていくと、1976年に「限りなく透明に近いブルー」日常の裏側にあるドラッグ・セックス・暴力を描き、1980年に「コインロッカーベイビーズ」で、それを昇華させ、さらにスケールアップします。
トウジは「コインロッカー・・」の主人公であるキクとハシを融合させたようなイメージも感じられますね。「キク&ハシ&アネモネ」が、「トウジ&ゼロ&フルーツ」ともダブるようなダブらんような・・・?
そして、1987年の「愛と幻想の・・・」で、ある程度の「村上龍コンセプト」というか「龍スタイル」路線が引かれたように思います。体制への反抗、現実の打破というか・・・とにかく「決起」です。
その後、「トパーズ」や「コックサッカーブルース」、「イビサ」、「エクスタシー」、「ピアッシング」、「368YPar4第2打」、「五分後の世界」&「ヒュウガウイルス」、「インザ・ミソスープ」と、散発的にアチラコチラへ手を伸ばしますが、やはり龍の世界の原点からは離れません。同じような作品もあります。
そして2000年に「希望の国のエクソダス」で国内クーデターから独立を完成させ、2005年に「半島を出よ」で外圧によるクーデター&独立を描きます。
「愛と幻想のファシズム」→「希望の国のエクソダス」→「半島を出よ」と読むと、村上龍の凄まじい筆力が加速度的に上がっていくのと、更なるデータの蓄積、自身の経験、人脈の広がりなどを感じることが出来ますし、村上龍自身が、より一層洗練されていく様が良くお判りいただけると思います。
もし、ご希望の方があれば、この3作セットをお貸しいたしますよ! できれば、順番どおりに一気に読んでもらいたいですね。
読み終えた後、「自分はもっと貪欲に生きなければいけない!生に対して貪欲にならなければいけない!」と思うことでしょう。
日本に生を受けたこと、日本人として生きること、死にゆくこと、子孫を残していくこと・・・・そういう、あたり前に過ぎていく日々・現実に対して、もっと意味を持たせ、その瞬間瞬間を考えながら時間を大切にして生きていかなくてはいけないと思うことでしょう。
変な自己啓発本を読むより、村上龍作品を読めば、自分の中の何かがインスパイアされることでしょう!!
★★3つです。
1990年、中南米にデフォルトの波が起こり、世界経済は恐慌へと突入。サバイバリスト鈴原冬二をカリスマとする政治結社「狩猟社」には、官僚、企業家、思想家、法律家、学者、テロリストが集結し、社会的ダーウィニズムを実行していく。良識派は彼らをファシストと呼んだが、「狩猟社」は過激派をつぶし、労組のストを破壊し、要人にテロを加え、反対派を廃人にしながら、一気に日本の中枢を獲ろうとする。そんな彼らの前に、恐慌後秘密結成された多国籍企業集団「ザ・セブン」が徐々にその恐るべき姿を現わす。危険な予兆をはらんだ衝撃の近未来政治小説。「BOOK」データベースより
ようやく読み終えました・・・(;´▽`A``
本来、先週の23日・24日の鬼怒川行きで読み終える予定でしたが、思いのほか時間がかかり、トイレの中、ベッドの上、車の中、地下鉄のホーム・・・ありとあらゆる場所で読みふけりました。
話は全く変わりますが! プレイステーション(現在PS3といわれるゲーム機の元祖です)に少しハマっていた頃(9年ほど前のですが)バイオハザード2が発売され、スゴイ人気でした。(今は4が出ているようです。)
当時、家に帰るとすぐに電源を入れ、夜中までずっとやってました。ちょうど嫁さんがつわりで苦しんでいる頃だったので、あの衝撃的な映像は胎教には、良くなかったことでしょう(^_^;)
そして、バイオハザード2を制覇した後、中古ゲーム屋で格安で売られていたバイオハザード1を購入し、家に帰って、早速やり始めましたら・・・もうそれはそれはチャチな動きで、映像からストーリーから仕掛けから・・・当たり前の事ですが、2とは比べ物にならない出来栄えでした。
あたり前のことですが、1をやってから2をやれば、何の問題もなかったのでしょうが、逆はダメですね。
「愛と幻想の・・・」の感想は、そんな感じです。「希望の国のエクソダス」を読み、「半島を出よ」を読んだ後で、「愛と幻想のファシズム」を読んだので、その原点を読んでいくような感じでした。
主人公のトウジの頭の中の思考や叙情、禅問答のような会話、詩的な描写などが氾濫し、そこに「シナリオ」を進めていく上で裏付けとなるデータ、軍事用語、労働争議、カタカナ語、横文字などが配置され、世界観や歴史観などがミックスして、読み砕いていくのに時間がかかりました。
上巻に比べて、下巻は幾分マシになり、読むスピードが上がりましたが、ラストのインパクトに少し欠けましたかね。「これだけ盛り上げておいて!?」という感じで、『巨大なる祈り』から偉大さや崇高さも感じず、『ザ・セブン』という存在からも最後まで恐怖を感じることはありませんでした。
もう少し、抵抗というか、トウジたちが行き詰るような場面が欲しかったですね。
前にも似たようなことを書いたと思いますが・・・
村上龍の作品を追っていくと、1976年に「限りなく透明に近いブルー」日常の裏側にあるドラッグ・セックス・暴力を描き、1980年に「コインロッカーベイビーズ」で、それを昇華させ、さらにスケールアップします。
トウジは「コインロッカー・・」の主人公であるキクとハシを融合させたようなイメージも感じられますね。「キク&ハシ&アネモネ」が、「トウジ&ゼロ&フルーツ」ともダブるようなダブらんような・・・?
そして、1987年の「愛と幻想の・・・」で、ある程度の「村上龍コンセプト」というか「龍スタイル」路線が引かれたように思います。体制への反抗、現実の打破というか・・・とにかく「決起」です。
その後、「トパーズ」や「コックサッカーブルース」、「イビサ」、「エクスタシー」、「ピアッシング」、「368YPar4第2打」、「五分後の世界」&「ヒュウガウイルス」、「インザ・ミソスープ」と、散発的にアチラコチラへ手を伸ばしますが、やはり龍の世界の原点からは離れません。同じような作品もあります。
そして2000年に「希望の国のエクソダス」で国内クーデターから独立を完成させ、2005年に「半島を出よ」で外圧によるクーデター&独立を描きます。
「愛と幻想のファシズム」→「希望の国のエクソダス」→「半島を出よ」と読むと、村上龍の凄まじい筆力が加速度的に上がっていくのと、更なるデータの蓄積、自身の経験、人脈の広がりなどを感じることが出来ますし、村上龍自身が、より一層洗練されていく様が良くお判りいただけると思います。
もし、ご希望の方があれば、この3作セットをお貸しいたしますよ! できれば、順番どおりに一気に読んでもらいたいですね。
読み終えた後、「自分はもっと貪欲に生きなければいけない!生に対して貪欲にならなければいけない!」と思うことでしょう。
日本に生を受けたこと、日本人として生きること、死にゆくこと、子孫を残していくこと・・・・そういう、あたり前に過ぎていく日々・現実に対して、もっと意味を持たせ、その瞬間瞬間を考えながら時間を大切にして生きていかなくてはいけないと思うことでしょう。
変な自己啓発本を読むより、村上龍作品を読めば、自分の中の何かがインスパイアされることでしょう!!
★★3つです。