『死にがいを求めて生きているの』by朝井リョウ
~植物状態のまま病院で眠る智也と、献身的に見守る雄介。二人の間に横たわる“歪な真実”とは?
毎日の繰り返しに倦んだ看護師、クラスで浮かないよう立ち回る転校生、注目を浴びようともがく大学生、時代に取り残された中年ディレクター。
交わるはずのない点と点が、智也と雄介をなぞる線になるとき、目隠しをされた“平成”という時代の闇が露わになる―“平成”を生きる若者たちが背負う自滅と祈りの物語。「BOOK」データベースより
おなじみの『螺旋プロジェクト』作品です。『
蒼色の大地』by薬丸岳>、『
コイコワレ』by乾ルカ、『
シーソーモンスター』by伊坂幸太郎、『
もののふの国』by天野純希、に次ぐ、5作目です
。
『螺旋プロジェクト』の中で、一番現代に近い時代背景で描かれており、しかもトップバッターだったらしく、良い意味でも悪い意味でも3つのルールを忠実に守っています。
「螺旋(らせん)」プロジェクトの3つのルール
・「海族」と「山族」対立構造を描く
・「隠れキャラクター」を登場させる
・任意で登場させられる共通アイテム
朝井リョウ氏の作品は、『
何者』、『
桐島部活やめるってよ』に続いて、これが3作目です。朝井リョウ氏は、人間が生きていく中で、心に灯す色々な想いを瑞々しく、そして生々しく、辛辣に描き、言葉として表現することが抜群に上手いですね!
登場人物がそれぞれに抱えていながら、見なかったことにしている心の闇の部分「自分の生きがいとは・・・?」という命題。
作中で、雄介という青年が『生きがい』について語ります・・・。
「人間には三種類いると思う。一つ目は、生きがいがあって、それが、家族や仕事、つまり自分以外の他者や社会に向いている人。他者貢献、これが一番生きやすい。
二つ目は、生きがいはあるけど、それが他者や社会には向いてない人。仕事が好きじゃなくても、家族や大切な人がいなくても、それでも趣味がある、好きなことがある、やりたいことがある、自己実現人間。
三つ目は、生きがいがない人。他者貢献でも自己実現でもなく、自分自身のための生命維持装置としてのみ、存在する人。
多くの人は三つ目の人間で、そこに堕ちたくないためだけにとりあえず働くという手段を取っているんじゃないか」と。
なかなか辛辣ですよね。
そこで、「そもそも、『生きがい』ってなんやろ?」と考えてみると・・・、
井上勝也(心理学者、筑波大学名誉教授)らによれば、生き甲斐とは「生きることに価値や意味をもたらす源泉や対象としての事物(生きがいの源泉・対象)」と「その源泉や対象が存在することにより自らの生に価値や意味があると感じられる感情(生きがい感)」の2つの側面から構成される概念とされている。
井上は社会的な次元から、生き甲斐を社会的生き甲斐、非社会的生き甲斐、反社会的生き甲斐の3つの方向性に分類している。社会的生き甲斐とは、ボランティア活動やサークル活動など、社会に参加し、受け入れられる生き甲斐である。非社会的生き甲斐とは、信仰や自己鍛錬など、直接的に社会とは関わりない生き甲斐である。反社会的生き甲斐とは、誰かや何かを憎んだり、復讐する願望を持ち続けるといった、暗い情念が生きていく上での基本的動機となっている生き甲斐である。(
Wikipedia)より
ということです。
僕には漠然と「家族?そうやなぁ、家族皆が健康で、そこそこの生活が出来るように頑張ること。そして娘たちが学校を卒業して、就職して、結婚して、孫が生まれて、その孫に色々と買ってやったりすることが出来るように、しっかりと仕事をして、出来ることなら蓄えも少々する・・・。それを『生きがい』というのなら、生きがいかなぁ?」という感じですかね?
皆さんはどうですか?「〇〇が俺の(私の)生きがいだ!」って胸を張って言えることあります?
いずれにしても、この作品は、連作短編集のように、それぞれの登場人物が、それぞれの立場で、もがきながら葛藤しながら、一生懸命に生きています。その姿と言動から、自分自身に少しでも重なる部分、共感できる部分があると思います。
現代の複雑に入り組んだ社会の中で、とりわけネット社会の中で生を受け、その暮らしが現実とヴァーチャルの中で揺れ動いている10代、20代の若者に読んでもらいたい作品ですね。
グイグイと引き込まれる展開と文章に、期待は大きく膨らみましたが、エンディングが今ひとつな感じなので
★★★☆3.5です。