『じんかん』by今村 翔吾
~民を想い、民を信じ、正義を貫こうとした青年武将は、なぜ稀代の悪人となったか?時は天正五年(一五七七年)。ある晩、天下統一に邁進する織田信長のもとへ急報が。信長に忠誠を尽くしていたはずの松永久秀が、二度目の謀叛を企てたという。前代未聞の事態を前に、主君の勘気に怯える伝聞役の小姓・狩野又九郎。だが、意外にも信長は、笑みを浮かべた。やがて信長は、かつて久秀と語り明かした時に直接聞いたという壮絶な半生を語り出す。大河ドラマのような重厚さと、胸アツな絆に合戦シーン。ここがエンターテインメントの最前線!「BOOK」データベースより
今村翔吾氏の作品は、『八本目の槍』に次いで二作品目です。今村翔吾氏は、とても人物を描くの上手く、人の心の移ろいや、内面の苦悩などを巧みに描き出す素晴らしい作家さんだと思います。
『八本目の槍』の時も思いましたが、いわゆる「三英傑(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)」を描くよりも、その脇役にスポットを当てて、脇役から見た歴史の動きを見事に読ませてくれました。
悪名高き松永久秀は、今村翔吾氏の筆によると、実は誰よりも主君である三好元長、長慶、義興、義継と、代々三好家に仕え、三好家安堵の為に尽くした忠臣であったと書かれています。
作中に、『人間と漢字で書いて、にんげんと読めば人単体の事を指すが、じんかんと読めば人の世を指す』というような記述があります。『人間万事塞翁が馬』のことわざも、「にんげん」と読むのが普通のようですが、中国では「人間=じんかん」は世の中・世間のことを指すようです。一つ賢くなりましたね。
主人公の松永久秀=九兵衛が自分自身に問いかける、「私は何のためにこの世(じんかん)に生まれてきたのか?」と、その生きる意味を探し続ける、自分の存在意義を確かめるような人生であったと思います。
松永久秀の最期のシーンとして語り継がれる、名茶器の「平蜘蛛」を叩き割るエピソードは有名ですが、なぜ、その平蜘蛛を大切に大切にしてきたのかというところも、幼き九兵衛の生い立ちによるものだと描かれています。
歴史作家として直木賞を受賞された澤田瞳子さんが、何かのインタビューで「歴史小説は家づくりのようなもので、史実という柱を元に、壁を作り屋根を付け、装飾を施していく。史実として裏付けられているもの以外の部分は小説家の創作であるし、『きっと、こうだったんだろう』と考えながら作り上げていくところに小説の醍醐味がある」というようなことを語っておられました。
まさに、その通りだと思います。
今村翔吾氏の筆では、あえて悪名を被ることによって、主家を守ろうとする松永久秀の直向きな滅私奉公ぶり描かれています。
史実と比べてどのように感じるかは人それぞれだと思いますし、小説ですから、面白くしてナンボだと思いますよね。
余談になりますが…、 「BOOK」データベースに書いてある通り、合戦シーンは、もちろん胸アツなんですが、作中に出てくる、松永久秀を支える忠臣の中に、海老名権六家秀(宇治郡東野村出身)と、四手井源八家保(宇治郡厨子奥村出身)という武将が登場しますが、その二人の出身地は「宇治郡山科郷(現在の京都市山科区)」なんですね。
この地名と姓名が出てくるだけで山科人としては胸アツなんですよ!今でも、厨子奥(京都薬科大学の南側あたり)に行けば「四手井家」という表札はありますし、西野(一号線の山科西野交差点の北側)には西宗寺の海老名家があります。
もっと旧い名家旧家が沢山あると思いますが、少なくとも、この二つの家系は、西暦1400年代後半から500年以上にわたって、脈々と受け継がれてきた名家と言えるでしょうね。
いずれにしても、今村翔吾氏の歴史巨編といえる『じんかん』は素晴らしい作品だと思います。
★★★☆3.5です。