ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

「快」とつながれば、脳は活性化し、スゴい力を発揮する。

2012年08月11日 | Weblog
「仕事ごころにスイッチを!」小阪祐司著より。

人の心にスイッチを入れる人間心理について触れていた。それは「快」を感じることをやっている時の、脳の状態と深い関係があった。

ここに例があった。ある高齢者のグループを二班に分けて、携帯メールの使い方を覚えてもらうというものだった。どれくらいの時間をかければ、覚えられるかという実験だった。

A班には携帯電話を渡して、手順を教えてこれこれこうやったらメールが送れますと教えたのだ。しかし、二日経っても、三日経っても覚えなかったという。

B班には、使い方の前に「この携帯電話でメールができるようになると、毎日お孫さんとメールでやり取りができますよ」と言ったのだ。すると、全員が約30分で覚えたのだ。

やはり「快」を感じると覚えようとする意識が向上するのだろう。仕事も同様に、常に「快」と結びつけられれば効率よくはかどるのだろうか。そうなれば理想的なのだが。


読書はスルメをかむのと似ている。

2012年08月11日 | Weblog
「退屈力」齋藤孝著より。

ここには藤子不二雄のことが書かれていた。地方に住んでいた頃、漫画雑誌が配本されてくると二人はむさぼるように何度も読んだという。そこから吸収し、学習したものは膨大なものだったらしい。

何度も同じ本を読むことで退屈さを忘れていたのだろう。しかし、その退屈が創造の原動力に変換していったのだ。そんな時間があったからこそその後の傑作につながっていったと齋藤氏は考えている。

スルメをかむように繰り返し読んで、想像を重ねていたことが、良かったのだ。もし、次々と新しい刺激があったらそううまく行ったかどうか。むしろ漫画への渇望感が、その後のアイデアの源泉になったともいえるらしい。

同じ本を読むことは刺激がすくないが、そこから得られることも多い。実は私も、この『退屈力』を再読するつもりはなかったが、たまたま数ページ読んでみたら、再び引きこまれてしまったのだ。これもスルメをかんでいるうちに味が染みでてくるのとよく似ている。


「型」は、自分のコンディションを測る、不変の物差しになってくれる。

2012年08月11日 | Weblog

「退屈力」齋藤孝著より。

武道には型がつきものだ。それは退屈なものでもあるだろう。しかしそれは必須のものだった。しばしば「型」はあまりいいイメージではとらえられていない。

「型にはまった人間」は応用がきかない。「型通りの発想」はあまりかわりばえのしない、などの意味合いがある。むしろ「型破りな人物」のほうがもてはやされたりもする。それは「個性」とも考えられるのだろう。

しかし、「型」があるからこそ、自分の状態を把握しやすいこともある。もし、体調が良くないときは、その「型」通りにはいかないからだ。それによって、その日の体調のバロメーターが測れるような気もする。

個人的で話はややそれるかもしれないが、週に数回朝ラジオ体操を含め約15分間のエクササイズを行っている。しかし睡眠不足や疲れがとれていないときは、体が重かったり、体を動かす気にもならない。

体の調子がいいときは、ほとんど無意識のうちにエクササイズを始めている。そんな時は、まあまあの体調だと感じている次第。当然ながら飲み過ぎた翌朝は、やはり体が重い・・・