素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

岡田准一のおかげで米田さんの元気な様子を拝見

2014年07月31日 | 日記
 月曜から金曜までの16:55~18:00にあるNHK総合の「ゆうどき」はちょっと一服と、エアコンのスイッチを入れる時である。今日は岡田准一が生出演していた。話だけかなと思っていたら出身校の枚方一中の取材映像が流れた。彼が所属していたラグビー部の顧問はもういないからなと妻に話したら、なんと映像が宮崎に替わった。さすが大河の主人公である。力の入れようが違う。そこには宮崎の中学でラグビー部を指導している米田さんの変らぬ姿があった。話しぶりもそのまま。

 私が二中で勤務していた時に新任の彼と出会った。昭和60年(1985年)度の全職員写真である。転勤して3年目、私は34歳。ここから転勤するまでの8年間の実践は貴重なものだった。好い時に出会ったと思っている。
 蹉跎中学校と分離をしたばかりで、市内で一番小規模で、しかもグランドも考えられないぐらい狭かった。分離したとはいえマンモス校の時のクラブを学校の都合だけで廃部にもできず、若いA先生は野球部と女子バスケット、I先生は女子テニスと男子バスケットを掛け持ちせざるを得ない状態であった。段階的に廃部を進め、適正なクラブ数にしていくのが大きな課題であった。そこに、米田さんがラグビー部をつくりたいと言いだしたので会議を重ねた。

 英語の授業でも学級指導でも粘り強くじっくり取り組むタイプであった。体力にものを言わせて押えこむことは決してしなかった。ラグビー部創設までの過程も本当に粘り強かったことが印象に残っている。一中に転勤しても同じようにラグビー部を創設したと聞いた。岡田准一の思い出話からもその指導方法は私が二中で見てきたのと同じだと思った。そして53歳になった今、宮崎の中学のラグビー部の部員を相手に練習している様子も全く同じであった。

 毎年、年賀状だけで近況報告をやりとりしてきたが、元気な姿をテレビの中に見ることができて嬉しかった。最後まで現場で生徒と一緒に汗を流しますと書いていたが、あの様子なら大丈夫だと確信した次第。

 
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