素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

報道統制

2022年03月12日 | 日記
 NHK BS1で午前6時からの「ワールドニュース」を時々見る。世界の放送局のニュースをダイレクトに伝えているので、日本で流れるニュースがアメリカ、フランス、ロシア、中国、上海、カタールなどではどのように伝えられているのか比べられるので興味深い。
 日本語通訳付きなのでわかりやすい。どの国もウクライナがメインだが視点が微妙に異なるので複眼的にキャッチできる。国営ロシアのニュースもそのまま流されていたが、ロシア政府の意向に沿った内容で、報道のあり方について考えさせられた。

 聞きながら 太平洋戦争中、日本の大本営による陸軍部及び海軍部が行った公式発表、「大本営発表」のことを思った。第1回目の大本営発表は真珠湾攻撃を伝えるもので、1941年12月8日6時に行われ、終戦後の1945年8月26日まで計846回行われた。

 日本側の敗色が濃厚になるにつれて、さも戦況が有利であるかのような虚飾報道が増え、末期になると勝敗を真逆に発表することまでも日常的になってきた。そのため「ある組織等が実態と幾分あるいは全く異なる情報を公表宣伝する」ことを「大本営発表」と皮肉る表現として用いられるようになった

 日中戦争勃発時、新聞各社は特ダネを狙い、軍の報道のすっぱ抜きやスクープなど熾烈な報道合戦を始めた。これに手を焼いた軍部は、紙の供給や報道許可の停止をちらつかせたりして報道界を締め上げていった。紙も取材もない状態では報道ができなくなるマスコミは、太平洋戦争勃発時にはただ単に軍の報道をそのまま流すだけの機関になっていった。
 
 また、用語の言い換えが盛んに行われていた。ガダルカナルの戦いの発表で行われた「撤退」→「転進」、アッツ島の戦いの発表の際行われた「全滅」→「玉砕」は良く知られている。

 さまざまな思惑が入り混じってそのようなことが行なわれた。
★大本営が戦況を正確に把握できておらず、現場からの報告に頼らざるを得なかった。
★過去の情報や被害状況に見合った戦績を発表する必要があったため。
★士気の関係で大きな損害を出すことを報告することをためらった。
★作戦部など戦争指導に関わる部署が責任問題になることを嫌った。

 日本ニュース 第230号 1944年(昭和19年)10月26日


「戦争」を「平和維持活動」、「侵攻」を「特殊軍事作戦」と言い換え、ウクライナ報道に戦争や侵攻を使えば「偽情報」を流したとなり、禁錮刑や強制労働が科される法律があっという間に作られるのをリアルに見せられると報道の自由の大切さをあらためて思う。
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