素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

日記の処分

2021年09月30日 | 日記
 先日、後藤さんの投稿を読んだ娘が私に日記を書いたことがあるか?と訊ねてきた。高校から大学を卒業するまでの間書いていた。と答えた。「読んでみたいな」と興味津々の様子。「残念ながら、ある時思うことがあってすべて焼却してしまったからこの世にはない」と言うと「どうして?」と不満気な顔。そのあたりのことを伝えるのはなかなか難しい。

 「想像できないとは思うけど、お父さんは、けっこうハチャメチャな生き方をしてきたが、中でも一番揺れていた時期に書いたのが日記やから他人様に見せるものではないと思っていた。そしてある時、突然処分してしまおうという気が沸々と湧いてきて燃やしてしまった。」と言うと「何言ってるかさっぱりわからんわ」と全身から?????が出ていた。

 「知らないほうが良いこともある。棺桶まで持っていくわ」で終わった。

 30年ほど前に日記の処分をしたが、そのきっかけはいろんなことが複合していた。1つは40歳代に入ってから「若さ」だけでは通用しないと感じ始めたこと。2つ目は次女が保育所を卒園して17年余りやって来た送迎から解放され時間的に余裕が生まれ、周りの人との付き合いがある程度自由になってきたこと。3つ目は、そうした付き合いの中で、私が持っていた過去へのこだわりを聞いてくれ、しかも笑い飛ばしてくれた人との運命的な出逢いがあったこと。そして決定的だったのが1983年 秋 に都 市 焼却 場 の 残灰 や 飛 灰 中 でPCDD(ポ リ塩化 ダ イベ ンゾ ダ イオ キ シン)の 検 出 が報 告 され,こ れ を契 機 に 国,自 治体 お よび 各研 究 機 関 レベ ルでダ イオ キ シン への対応が取りざたされ、各学校にあった焼却炉の使用禁止の通達が出たこと。

 「日記を焼却処分するのは今しかない!」と天の声が聞こえた。一人、焼却場ですべての日記が灰になっていくのを見ながら過去のモヤモヤが消えていくことを実感した。吹っ切れた!とはこういうことだと思った。

 私にとってはダイオキシン問題が大きなターニングポイントとなった。
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