素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

今日は『1』のたくさんつく瞬間のある日

2011年11月11日 | 日記
授業風に

「起立!れ」「ちょっと待て!まだ礼は言うな!そのまま そのまま。 先生が手を下げた瞬間に“礼”やぞ」
「はい」「礼・着席」

「あ~すっきりした。」「何か意味あるのですか?」
「この授業は2011年11月11日11時11分11秒に礼をして始まったんや」 「しょうもな!」
「でもな“1”がこんなに続く瞬間はめったにないんや。次は100年後の2111年11月11日11時11分11秒やで」 「そりゃそうやけど」
「その次は9100年後の11111年11月11日11時11分11秒。もう人類が存在しているかどうかも怪しいもんや」

「わかった。わかった。だけど、何で“1”にこだわるの?」 「“1”にはちょっと思いいれがあるんや」「どんな?」
「長い話になるけど聞いてくれるか」 「まあ“1”の多くつく日やからつきあうは」

「そもそも人類が最初に獲得した数は1,2,3,4,5、・・・って知ってるやろ」 「だから“自然数”と呼んでいるやろ」「そうや」
「たしか自然数には“0”は入ってなかったんやな、なんで?」 
「疑問に思うのはわかるけど、“0”の話を始めるとさらに長く、ややこしくなるから、別の機会にな」 「わかった」

「この“自然数”を昔のギリシャ人は深く研究したわけ」 「今のギリシャは借金で大変やけど」 「集中」
「研究といっても生活とかけ離れたことをしたわけやない。ところで君の家族は何人?」 「ええ!?4人やけど」
「もしお客さんが来て、8個のお菓子をお土産にもらったら何を考える?」「う~ん1人2個食べることができるかな」
「どんな計算したんや」「8÷4や」「ようできるやん」「馬鹿にせんといて、中学生やで」
「もしお菓子が10個やったらどない?」「そりゃ余りが出て、2個の取り合いになるわ」

「人間の生活では物を分けるということはしょっちゅうあるから、割り切れる、割り切れないは大切なことなんや」「納得」
「4のように8を“割り切る数”のことを8の“約数”ということにしたんや。他にも8の約数あるやろ?」
「2でもいけるな。兄弟で分けた時やな。8もそうかな」「まだあるやろ。」「???」「誰にもあげへんという自己中やったら」
「一人じめの1か」「ピンポ~ン。8の約数は1,2,4,8となるんや」
「10やと割り切れないということは、4は10の約数ではないということやな」「そう!じゃ10の約数は何かわかるか?」
「簡単や、ひとりじめの1と2と5と10やな」「じゃ、2と5と12の約数わかるか?」
「まかしといて。“2”は1と2。“5”は1と5.“12”は、ぎょーさんあるで、1、2,3,4,6,12の6個」「大正解!」「中学生やで」

「ギリシャ人は、いろいろな自然数の約数を調べるうちに“1と自分自身は必ず約数になる”ということを発見する」
「そんなの当たり前やんか。“独り占め”か“全員1個づつ仲良く分けましょう”はもめないわけ方の基本やろ」
「当たり前のことを“きちんと意識することが大切なんや”コロンブスの卵やな」「説教はいいから、次、行こう!」
「そしてや、自然数を約数ということから分類をする。」「どんな風に?」
「約数が“1と自分自身しかない自然数"と“それ以外にも持つ自然数”とにや。さっきの5個の数を分けてみ」
「う~ん。 “1と自分自身"しか約数がない自然数は2と5で、それ以外の8と10と12は約数が多いな」

「そこで、ギリシャ人は2や5のように“1と自分自身しか約数のない自然数”を“素数”と名づけたんや」「どういう意味?」
「“素”というのは“もと”“何もない”“手を加えていない”というような意味合いを持つ語や。いろいろあるやろ」
「素人とかいて“しろうと”と読む」「プロになる前の人やな。夢があるうちや」
「素手(すで)で闘う」「手に武器を持たずということやな」「素面とかいて“しらふ”」「なかなか、しぶい言葉知ってるなぁ」
「素っ裸」「・・・・・体から離れよか」 「逆になるけど理科で習った元素」「物質の基本やから同じ意味の言葉を念入りに重ねている」

「じゃ、2や5は元素のように“数の素”ということ?」「そう、ギリシャ人は自然数の研究をする時、自然数をバラバラにしたわけ」
「ふ~ん」「人間の体でも機械でも、詳しく調べようと思ったらバラバラにするやろ。解剖や分解と言ってるが」「たしかに」
「自然数をバラバラにする方法は2つある。1つは“足し算”もう1つは“掛け算”にすること」「たとえば?4やったら」
「“足し算”だと1+1+1+1。“掛け算”だと2×2。という具合」「それやったら“足し算”がいいわ。全部1+・・になるからむっちゃ楽や」

「でも、それだと何も出てこない。だからギリシャ人は“掛け算”でバラバラにするほうを選んだ」「後から勉強する人間には迷惑な話な。」
「遅く生まれた者の宿命やな。あきらめよう。これを“素因数分解”と言う」「漢字が5つも並んでごっついな」
「“素”は素数、“因数”は数の部品という意味やと思えばよい。“分解”は掛け算の形にするかな」
「要するに、4を2×2のように素数の掛け算の形にする。ということやね」「そういうこと」
「8やったら、2×2×2」「ハイ。16やったら?」「2×2×2×2」「そう」「でも、同じ数を何回も書くの面倒やな」
「それで、2の右肩に小さく掛ける回数を書く方法を編み出したんや。そして8は2の3乗、16は2の4乗と言えば楽になる」「なるほど」
「12やったら2×6で、さらに6は2×3となるから、2×2×3。2の2乗×3か」「ピンポ~ン。3×4から始めても最後は同じ」
「素因数分解の結果はただ1つということ?」「そういうこと。じゃ、最初にもどって1から20までにある素数ってわかるかな?」

「簡単や、約数が“1と自分自身しかない数”やから、1,2,3,5,7,11,13,17,19の9個や。か・ん・ぺ・き」「ブッブ~、残念でした」
「どうして?」「“1”は素数ではないんや」「エ~?だって1の約数は1以外ないやん。たまたまかぶるけど“約数が1と自分自身しかない数”には違いないやん。他に約数ある?」

「ないよ。だけど素数の仲間には入れてもらえないのや」「何でやの?」「素因数分解のためかな」「どういうこと」
「さっきの12やったら、途中の行き方は違っても、最後は2の2乗×3とピシッと1つに決めたいんや」「それで?」
「“1”を素数にすると、2×2×3×1もあり、2の2乗×3×1の100乗でもとなり、1つに決まらんやろ」「たったそれだけ?」
「1つに決まらんとすべてが崩れてしまうわけ。」「かといって、4や8や10の仲間に入れるわけにいかない?」
「そう、素数に対して合成数と呼ぶのやけど、1が仲間に入れてとたのんでも」「1と自分自身以外に約数持ってるか?と言われたら」
「当然、ありません。」「てっことは“1”はどちらからも嫌われる“はみご”?」「そういうことかな」
「なんか、カワイソ~」「それで、“1”のことを勝手に“孤独数”と呼んでいたけど、最近は“孤高の数”と呼ぶことにしているんや」
「それの方が、気高く数千年を生き続けているという感じでいいわ」「これが“1”への思い入れの話や」「えっ!え~それだけの話なん?」

「まあ独りよがりな勝手な思い入れにつきあってもらってわるかったけど。最後に、宿題や」「何やそれ」
「素因数分解はいろいろ役立つけれど、素因数分解の結果から、その数の約数の個数がすぐわかるんやで」「どういうこと?」
「たとえば、360は“2の3乗”ד3の2乗”×5となるやろ。約数の数は24個や。たしかめてみ」
「1,2,3,4,5,6,8,9,10,12,15,18,20,24,30,36,40,45,60,72,90,120,180,360やから確かに24個や」
「さあどんな計算をしたんやろ。月曜日までの宿題。起立。礼。じゃ。」
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